「演劇入門」観てきました。
哲郎記
2010/12/13(月)
スーパーネオンが今週末に差し迫った月曜。
ソワソワしながら東京に芝居を見に行きました。
平田ヲリザさん著書の新書「演劇入門」をもとに、
岩井秀人さんという人が脚本におこし、
踊る大捜査線とかの監督の本広克行さんが演出した「演劇入門」。
そのくらいの予備知識しかもたず、「演劇入門」も読まずに、でも気になって観にいって来ました。
気づくのが結構遅く、チケットは最終日の今日の分まで完売。
早朝のバスで出発。強行。
二時間近くキャンセル待ちしたけど、観れてよかった!
あらすじは、脚本家の岩井さんについての演劇人生の変遷みたいなものだったんですが、
それがなんだか、近代以降の演劇の進化?みたいなものをわかり易くなぞった内容になってました。
見終わった第一印象は、なんというか前向きな諦め感。
きっといろいろ納得したり、わかった事が沢山あったんだと思う。自分的に。
ある意味当たり前なんだけど、「これを長野で観るのは、難しいだろうなぁ」と思いました。
始まってから数秒で入り込んでいけて、芝居に没頭できる。
見終わって、なんだかとても考えさせられる。
でも恥ずかしい事に言葉が無さ過ぎて言語化できない。
ただ、何かに強く納得出来た印象が持てました。
待ち時間の間、ロビーで「演劇入門」をよんでいました。
そこには、「伝えたい事は無いけど、表現したい欲求は沸き上がってくる(ちょっと違うかもしれないけど)」というような事がかかれてて、芝居のなかでも、それに触れる場面が出てきて、特にその部分に納得しました。
やーでも、本当にすごいなぁ。
思い知らされた。
特に自分について、立ち位置とか、これまでの経験みたいな事の意味・無意味とか。
ー哲郎ー
ナツミ記
「演劇入門」を見に行った。
平田オリザの、現代口語演劇について書かれた新書「演劇入門」を
脚本家・岩井(実際に今回の作品の脚本を書いた人)の視点でみながら
再構成しつつ、“イワイ”の演劇人生を演劇で描いていく・・・といった作品。
“イワイ”が実際影響を受けた演劇作品を、
時間軸に沿って、劇中で再演(劇中劇っていうのかな)することで
なぜ現代口語演劇なのかと言うことを説明していく。
私達観客のこころや視点が、
完全に作家(それが演出家なのか脚本家なのか、平田オリザなのかわからないけど)にピックアップされたところで
“イワイ”の物語が静かに終わる。
そう、すごくほんとにすごく静かなんだけど、
さんざん現代口語演劇を見るコツ(や、その他・・・)を
すり込まれたわたしたちのこころは
繊細すぎるほど繊細になっているので
その数分間に、ぐらんぐらんと、揺さぶられるのだ。
(あ、もしかしてわたしだけ?!)
この劇を見た人はもしかすると「現代口語演劇」が
魔法のように思うのかも知れない。
でもこれはある芸術家が、
「自分のみえる世界」を「他人に見せる方法」として得たひとつの手法であって、
「現代口語演劇」がどうのという話しではないのだと思う。
だれかが油絵を確立した(よく知らないけど)ように。
ジャンルとして流用できる手法かも知れないけど
“ある作家”に、他人と共有したい世界があって
共有する方法をいままでの概念を打ち破りながら追求していって
たどり着いた方法でその世界をみせた、から
説得力があるのであって、手法の魔法ではないのだと思う。
これは作る側にちかい視点での感想。
もっとニュートラルな感想は・・・
劇や世界を「見る」ちょっとしたコツやおもしろさを教えてもらった反面
人間や私自身に対する絶望というかどうしようもなさを再確認させられて
きっとそれでも・・・っていうところで生きていくんだと思うけど
絶望や煩わしさの中にしか(を受け入れるしか)
希望や幸せを見出せないむなしさを再確認するのはつらかった。
「ドラマ」ってそういう経過のことだし
人生や、毎日はなんてドラマチックなんだろう、と思う。
その毎日に加えて
(芸術)作品はその作家の「ドラマチック」を抽出して見せてくるわけで
なんか息できなくなってしまう。
やっぱり闇がないと光は感じられないのかな。
それはどうしようもないのだろうか。
どうしようもないんだろうな。
とかそういうことを、おもった。
以上。
ナツミ