ネバメン君の「穴堀りインタビュー」web版 第2回ゲスト◎友部正人さん 前編
ネバメン君のインタビューWEB版、
第2回目のゲストは、友部正人さんです。
タテタカコさんとのツーマンライブの後にお話しました。
昔の事を思い出しながら、ポツポツと話す友部さんは、
歌うたいの領分を静かに守っているようでした。
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友部さんネオンの事務所にやってくる。
ネ:よろしくおねがいします。
今はニューヨークに住んでいるんですよね。
いつからニューヨークに住んでいるんですか?
友:1996年から。16年前だね。
ネ:その時はお休みでいってたんですか。
友:プロモーションビデオを撮りにいってて、
たまたま向こうで知り合った人と街を歩きながら、
アパートを紹介してもらったりして。
そしたら凄く古いお城みたいなビルがあって、
良かったので気に入って住み始めたんです。
ネ:どんな暮らしをしているんですか?
友:ニューヨークではね、
今はもうライブ活動は全然していなくて、
お休みですね。
日本ではライブをして、
向こうではお休みです。
セントラルパークが近いので
週末はランニングのレースに出たり、
あとは日本のライブのための
曲を作ったり。
日本ではライブが多くてほとんど何も出来ないので、
ライブ以外の事をニューヨークでやってます。
ネ:日本は歌う場所で
ニューヨークは休む場所ですか。
友:そう、半分半分でやってるから。
日本にいる時間はライブしか出来ないけど、
ニューヨークでは時間がたっぷりあって
ゆっくりしています。
家の近くにリンカーン・センターとか
カーネギー・ホールとかがあるんで、
オペラ聴いたりコンサートに行ってます。
ネ:なるほど。……
幸:…そう言えば!!
ネオン来たミュージシャンが、
「友部さんは仲間が機動隊に
連れて行かれそになった時に
一人で立ち向かったんだ」
っていってましたよ。
友:なんの話ししてるんだよ笑。
そんなことしてないよ笑。
ネ:何してたんですか。
友:そのミュージシャンが言ってたのは
きっと名古屋の話かな。
ネ:名古屋に住んでいたんですか?
友:そう、高校は名古屋だった。
高校を卒業して名古屋の道端で歌っていたら
僕が歌っている姿を見て
当時新宿ではやってたフォークゲリラと
勘違いしたのか同一視したのか
大学生や新左翼系の学生が
わーと集まってきてすごかったの。
ギターを持った若者や、全然関係ない野次馬もいて、
5000人くらい集まってしまった。
ネ:すごい。。。
友:当時の僕には
フォークゲリラについての知識もなかったし、
誰かと戦うつもりもなかったよ。
俺の頭のなかには、どっちかというと
ボブ・ディランが好きということしか頭に無かったから。
昔のミュージシャンがやっていたことを
真似していただけだった。
ネ:うんうん。
友:後はウッディー・ガスリーとか。
ああいうアメリカのボブ・ディランが
影響受けた音楽が好きだった。
もっと昔の、労働者運動の頃とか
不況時代の音楽とか、ブルースもね。
その頃のミュージシャンが
道端で歌ってたとか
電車の中でうたったとか、
そういうロマンチックな発想が
ずっと僕の中にあったんだよ。
ネ:なるほど。
その時名古屋にギターを持って集まった人は
何をうたっていたんですか?
友:そうだね。
僕は自分の歌をうたっていた。
岡林信康とか早川義夫の歌を
歌っている人もいたね。
ネ:プロテストソングを歌っている人たちも
いたんですね。
そのあとに名古屋から東京に
移り住んだんですか?
友:その後は大阪に行ったの。
大阪の帝塚山というところにしばらく住んでいて、
そこを拠点にしてあちこち歌いに行ってた。
ネ:僕の生まれは大阪の天王寺なんです。
友:そうなんだね。
天王寺にもよく行ってたよ。
駅では歌ってないんだけど
駅の近くにビルがあって
糸川燿史さんという写真家の人がシナリオを書いて
そこで芝居をやった時に、出演したんですよ。
芝居の前日に一気に曲を書いて。
その時に出来た歌が『大阪にやってきた』。
ネ:どんな芝居だったんですか。
友:芝居の内容はわすれちゃったな。
ネ:アングラ芝居ですか?
友:もちろんアングラ笑。
つづく