ネバメン君の「穴掘りインタビュー」web版 2013年5月のゲスト◎The End
長らく更新が滞っていてすみません、ネバメン君です。3月14日・15日、ネオンホールでThe Endのワンマンライブが行われます。それを記念してThe Endのインタビューを、期間限定(3月末日迄)で公開します。ライブと合わせてお楽しみください。
ネ:今日のライブ(2013年4月21日,松本alecx)はどうでしたか。
T:うーんどうだろうな。難しいっすよね。終わったばかりで考えられない。
そのときはワーっとなってても、よく考えたら薄っぺらだったなと思うときもあるし。
逆に、調子の悪いライブのなかで、何か先につながる大事なきっかけをつかむこともあるんですよ。だとしたら、それは良いライブだったとも言えるわけで。
お客さんの反応も、拍手のデシベルだけで測れるものではないし、スポーツのように勝負の判定もないから、終わってすぐの気持ちは自分でもあんまり信用していないし、特に分析もしないんです。おれは打ちっ放しのゴルフかよ(笑)。
例えば、「ロック」はお祭りで、ドアーズの「反対側に突き抜けろ」じゃないですけど、非日常を目指すものだと思うんです。現実感を失いながら、それをいかにコントロールできるかってもんで。まあ、そこにある矛盾が面白いんだけど。
それに対して「フォーク」は日常がテーマであって、そもそもロックとは行為の目的が違うと思うんです。
祭りは目指すものが決まっていて、できるだけハイになろう、なるべく盛り上がろうとするものですけど、僕がやっているフォークは、そんなに高揚するためのものでもないんですよね。
ただ、会場に居る皆さんとの関わりのなかで、行こうとなったら盛り上がるという感じですかね。「ここに居るなかで、自分が一番ぶっ飛んだ人間だ」と、不意に証明したくなったらそのようにさせてもらいますが、それは目的じゃなくて歩み寄るための手段とでも言いますか。
高田渡さんが、演奏中にお客さんが手拍子を始めたところで「ヤメロー!」とかいって突然怒りだしてさ、「乗ればいいってもんじゃないんだ」ってそこから延々と説教始めたことあったでしょ。あれがフォークのハードコア(真髄)だと思います。かなり極端ですけど。目指しているものが祭りじゃないという意味で。本来は、予定調和よりもそのときの気持ちを優先するべきものなんです。
ボブ・ディランも、1966年くらいにバイクで事故を起こして、一回リタイアしてますよね。その事故る前のディランたるや聴衆から祭り上げられていたんですよ。
卑弥呼じゃないけど、祭りのシンボルとして。フォークとしてのディランはそれを窮屈に感じていたんでしょうね。
事故については色々言われてますけど、あれはそれほど大した事故じゃなかったという説を僕も信じます。
僕は、ディランはそういうトーテムポールとか避雷針みたいな役を降りたかったんじゃないかという気がするんです。
事故った後のディランは力が抜けちゃって、しばらくは腑抜けて責任を放棄するようなことをしていましたね。「ブリンギング・イット~」と「ブロンド・オン・ブロンド」の彼にあったギラギラ感が、「ジョン・ウェズリー・ハーディング」や「ナッシュビル・スカイライン」には無い。
で、実際にはディランもロックかフォークの「どっちか」という二択ではなくて、時期によって移動しながら、ロックとフォークの「中間のどこか」に身を置いていると思うんです。例えば、1975年からのローリング・サンダーレビューでは顔を白塗りにして、一時的にトーテムポールの座に返り咲いているという具合に。
かなり話が逸れたけど、僕はどっちかって言うとフォークに比重を置いているほうじゃないかと自分で思ってます。ディランや高田さんの後でおれは自分の話するのかよ(笑)。誰だよ(笑)。
だから、ワーってなれば良いってもんじゃなくて、どれくらい深く人の心に入って行けるかという事の方が重要っす。さっきも言いましたけどその日の気分で、みんなで決めるっていうか、ここまで行きたい、というのを僕が決めるんじゃなくて、皆さんとの関わりの中で決める。それで最後にドーンとなることもあるし、ならなくてもだめというわけじゃないんです。それはもうサイコロを振ったときの出た目というか。「出鱈目」という言い方もあるけど。人によってはそんなので良いんですかって言う人もいるかもしれないですけど、僕としては自分なりにそれもまた誠実な表現じゃないかなと思ってます。
ネ:ライブの中身はどれくらい決めからやるんですか?
T:直前まで楽屋で考えて、八割方は決めてステージに上がります。でも残りは、曲を入れ替えたり、これやめてあっちにしようということは結構あります。バンドだと難しいけど、自分は一人でやっているから、そういうのは自由にできますね。
ネ:自由さと心細さがありますよね。
T:そりゃ両方っていうのは虫のいい話だから。自由を手に入れるなら、孤独とも付き合って行かないと。
ネ:昔と比べてライブのやり方は変わってきましたか?
T:変わっている部分もあるし、変わっていない部分もあると思います。
昔はyoutubeも無かったから、ライブの場所に出かけて行って、お客さんの前で自分の演奏を聴いてもらうのが当たり前で、それしか無かったんですよね。
録音したものを配って聴いてもらうとか、あんまり気が進まなかったな。僕は録音するMTRっていうの?そういう道具も持ってなかったし。作っても気にくわないものばっかりだったし。自分ができることをやってきただけなんです。
CDを録音して配るということは、CDを聴く自由をお客さんに与えるわけですよね。やっぱり車を運転しながら聴くだろうし、部屋を片付けしながら聴くだろうし。いろんな状況の中で自分の音楽を聴いてもらうってことを考えたときには、この昔ながらのスタイルでは難しい気がするんです。電波が微弱過ぎるっていうのか。
このやり方でこちらのイメージを伝えるには、受け取る側にもある程度「聴く」って言う体勢になっていただいて、想像力を積極的に働かせてもらう必要があるんです。受け手の意欲やインテリジェンスによる部分が大きいから、マグロ状態の文字通りの「お客さん」には何も伝えることができない。
声とギターがあれば表現は成立するのかもしれないけど、ライブではそれ以外の情報もあると思うんですよ。顔の表情であったり、会場の空気感であったり。
自分の持っているイメージを、いかに的確に伝えるかっていう作業なら、CDよりライブの方が上手くやれると思います。
ということで、昔よりはお客さんとの信頼関係を意識するようになったかもしれないですね。
ネ:なるほど。
T:例えば、名前を残さないで死んでいったブルースマンも大勢居るじゃないですか。戦前のアメリカの南部の方で。そこら中に、仕事が終わった後やなんかに気晴らしに演奏していた人が居たと思うんです。
ロバート・ジョンソンやなんかは、たまたま運が良いっていうか、まあ運は良くないか。少なくとも彼の音楽に関しては、たまたま後の人たちが見つけてくれたじゃないですか。名も無いブルースマンたちの中には、たぶんロバート・ジョンソンよりすごい人が居たかも知れないですよね。
そういう人たちのこと考えると、自分なんかが音源を残すなんて考えたら生意気っていうか。おれたちは最後でいいんじゃないかって気持ちで「TheEnd」ってバンド名に決めたような覚えもあるし。
ほかにも理由があって、「放課後の校庭で最後まで遊んでいるような子供」みたいな、最後までおれたちは音楽やっているかもしれないねっていう意味のThe End。あとは、今日で最後のつもりで演奏しようって意味のThe End。関係ないけど、ずっと閉店セールやってる店の気持ち、すげー分かるな。
ネ:やっぱりライブなんですね。
T:今はyoutubeで世界中に発信できる方法があるけど、それじゃ人見知りは克服できないっすよ。出かけて行って「こんにちは」ってとこからから始まって、それが筋だと思うっす。
ネ:ライブの生中継なんかも見られるようになりましたよね。
T:それは便利かもしれないけど、パソコンとかスマートフォンの画面で見てさ、「youtubeでTheEndを見たけどあんまり好きじゃないわ」みたいな。そこで判断されちゃうのはあまりにも不条理だとは思いませんか。
ライブ会場まできてくれた人が、僕の演奏を聴いてくれて、「あーこれは生理的に無理」と言われるならそれは仕方ない。だけど、youtubeとかCDショップの試聴機で判断するのはないわー。視聴機なんか置くからみんなCD買わなくなったんじゃないかな。大げさに言うと、CD買って聴くとかライブに行くって行為は人の考え方を変えてしまうくらいの力があったのにさ。それなのにスーパーの試食品みたいなことをやって自分たちで価値を下げてるんだもの。すまん話が逸れた(笑)。
ネ:ツイッターとかに音源のリンクを張ったり、絵を写真にのせて張るのは大事な最初の衝撃を奪ってしまうんじゃないかと思うことがあります。
T:今だったらそこで人生が変わるのかな。僕も来年から乗 り換えてたりして(笑)。
ネ:お客さんが山のように来たりして(笑)。
T:手のひらを返したようにね。まぁやったことないからさ。一回やってみればいいのかな。初音ミクとか。
ネ:よく知っているもが繰り返し見られるのいいですよね。昔見たライブのオンエアーとか。
T:ツェッペリンの昔のライブとかもあるよね。こんなんあったんだーなんて。正直言って、そういうものとの関わり方が自分は未だに整理できてないということなんですかね。僕は自分の部屋でギターを弾いてさ、それを何人かのお客さんに聴いてもらうっていう、そんな単純な作業の繰り返しをしてきただけだから。
ネ:歌を聴いてほしいって思いますか?
T:そうだなぁ。ネットや路上でやらないというのは、不 特定多数の人にはあまり聴いて欲しくないんだろうね。ほとんどの人は福山雅治の歌で満足しているだろうし、そういう人たちの前にわざわざ出て行って、地面に頭をこすりつけて自分の演奏を聴いてくださいってお願いすることがお互いにとって最善の時間の使い道だとは思えないな。わざわざそんなみじめなことしなくても、普段の生活だけで自尊心は十二分にすり減ってるから。頑張ってたまたま注目を集めることができたとしても一時的なものだし、そんな心配してたら自分はさらに調子が狂うだけだよ。
ネオンホールに来るような人はよっぽどで、ありふれたものには飽き足らない人じゃない?テレビもFMもつまんないって言って、寒い夜にわざわざ靴はいて出てきてくれるような人じゃん。そういう人には会いたいよね。多分、僕もそういう種類の人間だと思うし。そういう人の気持ちには応えたいし、一緒に何かしたいと思うし。何をしてあげられるかわからないけど、そういう行為全般に宿る「善なるもの」を信じたいっすね。そんなに毎日は素晴らしいことは起こらないけど、毎日そうやって出かけていくことで、ある日奇跡みたいなことが起こる場面に立ち会えたりするじゃん。サーフィンや釣りみたいに。きっと、そういうことを楽しみにして人はライブに出かけていくんじゃないかな 。
ネ: ありがとうございました。
T:あんまり良い事語ってない気がするけど。
ネ:良くなくてもいいですよ(笑)。
T:いや、大事なことだよ。情報って多すぎるから、余計な垂れ流しはいかんと思う。
そういえば最近ライブやっててもさ、僕が一番年配みたいになっててさ。そういう意味では「40歳になってもアホで居てもいいんだ」って、若い人が気楽になってくれると良いよね。いや、本当はまずいんだけどね。そういう役割は感じることがあるよ。
ネ:最近、大森さん(元bubble sweet ,元inco.)が新しいバンドはじめましたよね。
T:僕とか大森君はバンドブームっていうか、それしか突っ張る手段がなかったんだよ。あの頃は、ヤンキーになって改造バイクに乗るかバンドやるかくらいしかなかったんだよね。それか、「ガラスの仮面」読んで演劇やってるめんどくさい女とか。まあ、いろんな意味でそっちには触れない方が良いね。最初っから言うなよ(笑)。
今だと、よさこいソーランとかポールダンス教室とか、自己実現というか表現の方法がいっぱいあるじゃん。昔は選択肢がなかったんだよ。大森君もシャイだけど、僕も音楽やってないと友達ができないような人間だったから、ギターや音楽にしがみついていたんだろうね。一人で出かけていくようになって、こんにちはってライブハウスの人や対バンの人とお話しするから、それで人見知りが解消されているような気がします。ああ、でも治ってなかったわ(笑)。無駄だったかも。
ネ:今では県外からも沢山声がかかりますもんね。
T:たくさんてこともないけど、色々な人と知り合えるのは楽しいっすね。ただ、もうちょい早く声をかけて欲しかったな。つうかおれが悪いんだっけ (笑)。「今日はもう店を閉めよう」って決めたとたんにお客さんがどっと押し寄せて来た日のラーメン屋の店主の気持ち、分かるな-。
いい年して調子に乗るわけにも行かないじゃん。あと、ベテランだから当然実力あると思われてて、でもこんな感じだから(笑)。初めての場所なんかではお客さんも僕もお互いに気まずい空気吸ってます。あの固まる空気感は癖になるよ。ああ、空気ってほんとに固まるんだーみたいな。
弾き語りやっている人間なんて山ほどいるし、僕の代わりなんていくらでもいるじゃないですか。そこで若い人たちの出番を奪うのは心苦しいけど、僕の年代ってもう辞めていく一方じゃないですか。だから自分としては行けるとこまではやらしてもらいたいです。東京ドームで2デイズライブやりたいとかそういうのはもう全然なくて。最初っから無いか。呼んでくれたライブで一生懸命演奏したいっていう、目先のことだけ考えてやってます。
ネ:個人的な質問なんですが、沢山曲を作っていたら、これは自分の曲じゃないような気がしてくることないですか?歌ってみたらぜんぜん口に合わないというか。僕はよくそれで混乱するんですが。
T:あるある。ラーメン屋でテキトーに 作ったまかない飯の方を褒められて困惑する店主の気持ち、分かるなー。「これ超うまいっすね!」なんて言われても、じゃあ今までおれが苦労して考えてきたメニューは何だったんだ?的な。
「引き潮」なんかはまさにそうです。あれって今でも覚えているんだけど、2,3回歌って辞めちゃったんですよ。長過ぎるのと、お客さんをちゃんと歌の中に引き込んでいくことができなかったというか、僕のプレゼンの問題かもしれないけど。
教室に落ちているものがあってさ、「これ誰のー?」って、僕がその『引き潮』って歌を最初に見つけたんだけど。それは山川ノリヲさんの歌だったのかなと。ノリヲさんが歌っているところを見たことあるでしょ、僕が歌っているのとお客さんの反応が全然ちがうんだよね。僕が盛りあげるつもりがないから、お客さんも盛り上がらないんだと思うんだけど。
ネ:僕はどっちも好きですけど。
T:昔の曲を歌うと、今の自分とは全く感覚が違うというか、昔の写真みたいですよね。たまに別ものとして歌うにはいいよね、20代の頃の歌とかね。でもやっぱりさ、普通のさえない男の寂しい心の有り様とか、ニーズがないと思うんだよね、ガクトみたいな男のそれならまだしも。だから聴いてもらう工夫も必要というかさ。
ネ:たしかに・・・頼まれもせずにせっせと作っちゃっていますよね(笑)。
T:まぁ、ソングライティングの技術を習得するためにはいいよね。でもそればっかりだとさ。2,3曲でいいんじゃないかな。1曲目から10曲目までずっとそうだと、「そんなにバリエーションあんのかよ」ってもんでしょ。
「では月曜日の僕の姿を聴いてください」「つぎは火曜日の僕の心の風景を聴いてください」「今度は反対からいきます」「雨の日の僕の孤独を」・・・。そんなにお前に興味ないしって(笑)。誰なんだよと。それは絵を描いている人だとしたら、自画像ばっかり描いている人ですよね。
ネ:曲を書く視点というか角度は大事なって最近よく感じます。
T:色んな考えで生きている人がいてさ、そういう人の気持ちになって、色々な立場に立って歌を作って唄うことは意義があると思うんですよ。無理して書き割りのような復興ソングを作る必要もないと思うんですけど。弱い立場の人とか、困っている人とか、いじめられている子供とか、行き詰まってる人。ソングライティングって いう技術があるんなら、たまにはそういう人の役に立ってみたいなと思います。はじめから終わりまで月曜日とか給料日前の自分のことばっかり聴いてもらってもなんか申し訳ないっすよね。
(終)