ネオンホールプロデュース 演劇公演 vol.3「ヤルタ会談」キャストインタビュー ルーズベルト・中沢清
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(Bチーム)スターリン役・ 中沢清さん
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若:若林
中:中沢清
ナ:ナツミ
若 よろしくお願いします。中沢さんは、普段どういう仕事をされているんですか?
中 和光照明っていう、アンティークと照明のお店の経営者、有限会社和光照明の2代目社長っていう肩書きになるかな。
若 あ、二代目なんですね。
中 そう。実家が照明専門の電機屋なんですよ。今の和光照明はアンティークの割合の方が多い位だけどね。あと、昔住んでたとこのね、ビルのね、経営も共同でやったりしています。和光照明も昔そのビルの中にあって、ネオンホールと同じくらいの広いスペースでやってたんですよ。で、電機屋の若旦那というか坊ちゃんとして、店とそこの商店街のこと20年くらい、もう、一生懸命やったよね。演劇とか大道芸とか呼んだりもね、自分たちでやったりしてたんだよね。あれね珠ちゃんとか今権堂のこと一生懸命やってるけど、私らはもうね20年やってね、それでもうある程度行き着く所まで行ったんですよ。で、いくとこまでいったので東口に10坪くらいの自分の店を作って。あのねぇ、商店街ないとこにね。
若・ナ 笑
中 もう楽しくてね。裏の駐車場でカフェシアターの道具を作ったりね。自由だったねー。最高でしたよ。だから、それから非常にラジカルに演劇活動をやってるね。50歳くらいだったからね、人生何できるかなって時に、まあ演劇はやっていこうと。
若 今おいくつなんですか?
中 今66。66っても色々ですよね、なんかの社長になってる人もいるわけだけどさ、でもその人がくねくね演劇できるかっていったらそうとも限らないもんねえ。そうだなぁ、今は社会とのつながりは、演劇を通してっていうのが強いね。えぇ、強いね。
若 ちなみにいつから演劇を始めたんですか?
中 はじめたのは18。東京の電気の専門学校に行った時からですよ。
ナ 最初からアングラ志向だったんですか?
若 最初はまじめな会話劇でしたよ。でもだんだんね。そのころ学生運動とアングラがリンクしてたから、アングラを求めて大学に進学して、で、天井桟敷にとびこんで。1970年代の最初の頃ですよ。で、75年の終わりくらいまで活動してたんですよ。
ナ なんで演劇を?
若 高校のときなんも部活に入っていなかったんだけど、たまたま演劇部の幕引き係をやったんですよ、幕のとこに隠れてね、そのときね、ふっと「なんで同じ高校生がこんなにはつらつとしてるんだろう」って。
ナ 憧れ?
中 そう。憧れだね。あと、変身するのは好きだったかもしれないね。ちっちゃいとき我々の頃は月光仮面ってのがあってさ、眼鏡つくって股引はいて、もっこりしたベルトつけて、シーツでマントつくって。でさ、裏口からさ、やおら、のそ のそと出てきてふっと我に返るととそのかっこうしてるわけ。おかしくなっちゃってじぶんで笑っちゃりしてね。
若 笑
中 で、小学校で学芸会ってのがあってね、でも私は、奥手っていうか控えめだから、今もね(?!) でも、学年が上がるごとにすこしずつ台詞が増えてったりしてね。で、演技するのは面白いなっていうのは感じたんだねー。
若 ほー
中 あとはね、こどもの頃といえばね、自転車こいで市民会館までいってね、町の子供は演劇とか歌謡ショーとか潜り込んでみてましたね。楽しかったなー。照明は奇麗だしね。将来、演劇やるとは思ってなかったんだけど、なんかきっと憧れてたんだなー。
若 なるほど。で高校卒業して…
中 そう、ね、うちの柿の木見ててもしょうがないじゃんって感じで、何でもいいから東京いこうって東京行って、たまたま出会っちゃって(演劇に)、で、だんだんエスカレートしていって、勉強どころじゃなくなって…。
ナ 天井桟敷って誰でも入れるんですか?
中 誰でも入れるよね。面接はあるよ。面接。真っ暗の中でスポットライトをガンッて当てられて、小さな部屋に閉じ込められて、そこに試験官がいるんだけどの顔が見えないの。
ナ 拷問じゃないですか!笑
中 で、わたしなんか寺山さんのこと研究してるからさ、アンティークの鞄にどっちゃり入れてさ、わざとこぼすの、寺山さんの本を。
若 !!
中 そう、なんか課題いわれんだよ、「鼻くその効用を述べよ」、とか「物理的な演劇の空間の変革についてどうおもいますか」とか、で結局うかるんだよね。で、事務所に行くと15歳くらいの女の子とかいろんな人いてさ、そんなかんやで、はじまったんですよねー。で、まあ合宿とかやってたら、いきなり寺山さんから原稿用紙1枚くらいの台詞貰ちゃって、大阪と、東京のTBSホールの、その、ラストシーンで「無人島でなんとか…」ってしゃべるんだけど、もうもうと煙の立ちこめる中、客席から立ち上がって台詞を言うのね、で、アドリブを言っちゃったんだよね。「天井桟敷なんてまだ幻想だ!!」とかいって。
ナ おおお!
中 そこまでは良かったんですよ。でもスモークのオイルで床がツルッツルで、滑っちゃって、今も傷あるかな、額を何針か縫うはめになっちゃって、すぐ六本木の外科につれてかれて縫ったんだけどね。医者に「この人職業は?」って聴かれた時、舞台監督の稲葉さんが「俳優です」っていったんだよね。「入ったばかりの学生です」って言われたらそれまでなんだけど。そのときだよね。「そういう世界か」と。「これはなんだ?」と。存在を認められるっていう。そこだね。
若 それが今も続けている元なんですか?
中 まあそうですね。ようするに、名付けるって事なんですね、「あんた役者だよ」って。プロなの?って時に、それで収入得てるかどうかではなくて、やっぱり自覚だと思うんだよね、俳優っていう自覚。それしかないじゃない。日本の演劇なんて、90%はいわゆるアマチュアが支えてるんだから。じゃなかったら日本の演劇文化なんて無いに等しいから。名付けることできまるというかさ。自覚だよね。まあ、外側から観ると幻想なんだけど、やってる側はね。
若 ムラタさんも、中沢さんに名付けてもらったことを話してくれました。嬉しそうに。
中 そうですかー。そうそう、演劇って、基本的には“遊び”なんですよ。PLAYね。遊びって真剣にやるとそれはもの凄いでしょ。まあ中には「遊び」っていうと誤解する人もいるんだけどね。でもね、人間は遊ぶ生き物だって。稲つくったりするのも大事なんだけど、絵を描いたり彫刻つくったりすることも大事なわけなんですよ。
若 なるほど。
中 私にも転機があってね1993年、その前までパフォーマンス的な演劇やってて、それはもうみんなまきこんで大きい会場でね。脱・寺山修司をやってたの。でも、どうも違うな、と感じて、アングラに戻ったの。それが1993年、それはもうエポックメーキング的なね、ネオンホールに二日間で300人入れたね邪宗門。役者が動く所は4畳半くらいしかなくて、もうすべてが納豆みたいになってですね、交番からおまわりさんもよばれちゃってね。清水君がネオンホール始めて1年くらいのときですよ。だからネオンとともに再生したんですよ私は。本当だよ。この館(やかた)とともに再生したんですよ。ネオン20周年でも「邪宗門」してもらってさ。
若 僕もその20周年の「邪宗門」観に行ったんですよ。当時のバンドメンバーが出ていて。上手くいえないんですけど、なんかうねりが凄いと思って、2回観に行きました。
中 そうですかー。あのね、演劇ってどんな場所でもできるっていうけどね、場所って以外と重要なんですよ。昔、行きつけの地下の喫茶店で27分の芝居をしたんですよ。そのときその事が夕刊に5段抜きで、ぼん、と出たんだよ。『アングラ演劇、ついに長野に登場』って。催眠術があって、ジャズが流れて、包帯人間あらわれて。そのとき、(劇団の)名前は「集団カフェシアター」にしましょうか。っていわれて「どうぞ」て。それからそう言う名前でいろんな喫茶店で、でっかいアドバルーン膨らましたり、観客縛ったりしてさ、やってたんですよ。
ナ 中沢さんのオリジナル作品をやってたんですか?
中 そう。天井桟敷のコラージュでね。ヒントいっぱいあるから。私は(天井桟敷に)そう何年もいないんだけど密度が凄かったから、自分でいうのもなんなんだけど活躍したからさ、人一倍ぐっちゃぐっちゃになるまでのめり込んで。そのエキスのね、秘伝の壷の隠し味をちょっとづつ使って、長々と、やってます。最近切れかかってるんだけど。笑。
ナ 他の人の演出でやるのは?
中 10年に一度くらいかな。ありますよ。そう言えばペーターゲスナーのに出たとき最後にペーターに「中沢さんは長野の演劇のおとうさんです」っていわれてね、まあ年齢的にもそうだし、まあそうかそうかって、ね。納得したりね。
若 今回、出演依頼がきたときどうでしたか?
中 イヤー今回はね、セリフがねー(多くてね)。誘ってくれた哲郎くんにも、平田オリザはどうだとか、散々文句いってね。笑。まあこの初老のおじいさんにお誘いがくるのは光栄なことですよ。だから二つ返事で受ければいいんだけどね。でもやっぱり演劇は専門性が高いと思っていて、まあ、そんなに甘いもんじゃないよって、他流試合はやっちゃいけないよっておもったりすんだよ。いままでもね、そこまで(人の演出で舞台に立つことが)楽しみきれなかったんだけどね。 …今回は、ふふ、けっこう、楽しいんですよ。
ナ それはアングラだからですか?
中 それもある、演出の仲田さんがアングラチックだしね。平田オリザが云々というのもやっぱりどう演出するのかはある程度自由なんだよね。そういう現場を今まであんまり知らなかったんだね。
ナ 仲田さんもおもしろがってくれてますよね。
中 仲田さんっていう演出家がねユニークでね、それにのって演技やらしていただいてんでございますがっ。私ね、実は、やり過ぎな演技大好きなんだよ。笑。そういうの上手に仲田さんに拾ってもらって。でもやっぱりやりすぎるとセリフがとんだりね…。精密機械なんですよね、演劇ってね。真摯に取り組めばね。みんな一つ一つ部品が面白くてさ。形つくってくんだよね。
若 最後に、僕に何か激励のことばをいただけますでしょうか。
中 何だろうねー。芝居やってあー面白いっ!みたいの感じる?
若 稽古期間中、一回はきついなぁって落ちちゃうんですけど、最終的にやって良かったなって思いますね。
中 そのね、やって良かったっていうのの積み重ねということなんですよ。演劇って、実は、楽しいことなんですよ。
若 ほー
ナ その楽しさの一番のことって何ですか?
中 なんだろうなー。演技とすると、変身、演じきるとか? あとそれこそ、あれですよ邪宗門みたいなスペクタクルの一部、その幻想の世界の一部になって、それを体験できる、その雄大なニセモノの世界をね。もう一つの幻想の世界の住人になって、実人生の中で歴史にはのらないんだけど、体験しているんですよ。作り出して、そしてぱっと消える。でも立ち会った100人は世界を体験するんですよ。
祝祭的で、宇宙的な体験をね。芸術作品をつくってご褒美もらうっていうよりはそっちですね。私の場合。
若 邪宗門は観客としてみていてはそんなかんじでした。わーっていうか、それ以上うまく言葉にできない。
中 そうそう、魔術師だよね。魔術。俳優は魔術師なんですよ。
ナ 操られる人じゃないんですね。
中 そう、持ち込む人なんです。でも生け贄でもある。だなら、なんだ。まあ、演劇ってながくできるからさ。色んな作品好奇心もって観るってことだよね。で、やりたくなったらやる、チャレンジしてみればいいよ、演出でも役者でも。意外に才能あるじゃんって思ったりするよね。
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インタビュー 若林優也
編集 若林優也、ナツミ