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長野市民日記78 2013年12月20日(金)
今日、忘年会だった。
会社の近くにある居酒屋(魚民)で同僚達としこたま飲んだ。いつもは業務の忙しさで張りつめた顔をしている同僚達が気持ちよさそうに酔っ払っていた。
ちなみに私は普段、有能な先輩、部下であるため静かにコーヒーを飲みながら日本経済新聞などを読んでいる。でもこの日ばかりは、長野ハイボールを片手に『稲中』的な下ネタをトークのはしばしに差しはさんでいった。男女問わずね。
だが、今日の忘年会にもドラマはあった。部長がブチぎれるという事態が起きたのである。
部長が乾杯の前のスピーチをしている時、若手の山田(男・仮名)がスマホに夢中で話をロクに聴いていない。部長怒って言った。
「オイ山田!そのスマホよこせ、オレがぶっ壊すから!」
その光景+発言に正直ウケた。
長野市民日記77 2013年12月10日(火)
今日、兄家族が実家に来た。
姪のくう(女児・二才七ヶ月)が、頼りない足取りで駆けてきた。私の脚を抱きしめ「くうちゃん、おすもうできるんだから」と言ったのがおかしかった。
コタツに入り皆でお茶を飲む。母が作ったおやきをほおばりながら兄が私に説教してくる。「お前もいつまでもフラフラ、フリーターなんかしてんじゃないよ!」
私は反論する。「うっさいなー。オレだってがんばってタコ焼きとタイ焼き売ってんだよ!店長も喜んでくれてんだよ!」
いつもの光景であった。
姪が散歩に行きたいというので近所の神社に連れていった。境内に奉納相撲の土俵があり、二人で相撲をとった。私を押し出せない姪が「くうちゃん、まだちっちゃいから、うまくできないから、もっとおねえちゃんなったらたおせるから」と言ったのが面白かった。
夕暮れの中、姪を肩に乗せて帰宅した。
長野市民日記76 2013年11月30日(土)
今日、一人でやきとり屋に入った。
奥の席に座り、日本酒を飲みながらやきとりを静かに食べる。背をまるめ、ちょっと泣きそうになって。
大好きなN先輩にフラれたのである。
最近、恋の病に苦しんでいた。N先輩に会えない時、彼女のことを考えると胸が苦しくなり、ぐったりし、食欲が無くなる。「こんなことなら出会うんじゃなかった」という恥ずかしいセリフを吐く。末期だった。
そして本日、告白した。
「先輩、大好きなんです!どうかボ、ボクとつ、つきあってください!」
答えは“ゴメンなさい”だった。
「私も君のこと好きよ。でもそれはラブじゃないのライクなの。つまり私にとって君はどこまでもお友達なの」とのこと。
もう泣きながらやきとり食べるしかない。
二杯目のコップ酒をあおり「明日からどうしよう…」と、つぶやいた。
長野市民日記75 2013年11月20日(水)
今日、自由作文を書こうとして全然書けない事に気づいた。書くことがない。
原因はわかっている。悩みが無いからだ。
デニーズでムシャムシャ朝ゴハンを食べ、iポッドに入れた落語を聴いて一人ゲラゲラ笑っている。こんな日常で良いではないか!
でも、でも、これではさみしい。何か書かなくては…。とりあえずエロ小説を書いてみる。中学生の男女がでてくるハズカシイやつ。う〜ん全然ダメ。二行で挫折。
そこで今度は「会話」について記述する。
私は他者と話すことが好き。(意中の田中先輩とのトークは特に)
会話は想像力の宝庫だ。会話には発見があり、夢がある。相手の情報空間にアクセスすることによって自分の情報空間は一部書き換えられる。つまり会話をする者同士はお互いの内面宇宙に影響をあたえあう。ようするに先輩と沢山話すべきだということ。
どうにか書けてハッピーである。
長野市民日記74 2013年11月10日(日)
今日、己の得意な事柄について考えた。
これまで仕事を得意、不得意ということで考えてこなかった。
とあるイベント制作に庭師の友人とたずさわってみると、その友人がかなりいろいろな作業をこなすことに気づいた。足場の組立て、舞台セットの製作、高所での手作業、複雑なロープワークなどだ。
それを見て「カッケー!」と思った。自分もそういう仕事ができるようになれるよう野外の仕事(農作業)の世界に入った。
二年たった。全然できるようにならない。簡単な工作はおろかロープもろくに結べない。
と、いうか“モノ”に複雑な細工を加えることに興味が持てない自分を発見した。
私は、「得意な事柄=興味がある事柄である」という考えにいたった。だとすれば自分の得意な事柄を認識し、それを仕事にすることができれば幸いではないか!
そう思ったらなんかワクワクしてきた。
長野市民日記73 2013年10月30日(水)
今日、兄が会社を休んだ。
二つ年上の兄は企業の研究所に勤める物理学者にして筋金入りの神秘主義者(カルト野郎)である。いつもノートに量子コンピューターの理論と黒魔術の魔法陣を書きつけている。この間も学会に出席するために京都へ出向いたと思ったら、その足で山口へツチノコを捕まえに行っていた。
正直言って変態である。
その兄が三日前から会社をズル休みし、一日中部屋にこもってなにやらやっている。心配した両親が私を偵察に行かせた。私は兄の部屋のドアを蹴やぶって言った。「どうしたんだよ!?会社行かなくちゃダメだろ!?」と。
兄はマシーンを作っていた。宇宙人と交信するためのマシーンを。本気で。
「宇宙人がこうしろと言ったんだ!」という発言がちょっとこわかった。床には数式でうめつくされた紙が散乱している。
今日、私も仕事を休んだ。
長野市民日記72 2013年10月20日(日)
今日、動物と遭遇した。
私は退屈が嫌いでいつも脳内刺激を求めている。ある意味脳内刺激中毒者だと思う。こう書くと、なんか凄いパンク野郎でバイクを乗り回したり、断崖絶壁をロッククライミングしそうであるが、全然そうではない。ありきたりな二次元野郎で『電車男』である。
いつもTVゲームかネットか本の世界(仮想現実)に意識を接続し楽しんでいる。「ウヒョ〜」といった感じで。
でもちょっと今日は冒険した。野犬に襲われたのである。仕事で浅間山の森に入り、めずらしいコケを採取していたら、歯をむき出しにした野犬(中型)が現れ突進してきた。
「ひ〜ケダモノ〜」と心の中で絶叫し、死に物狂いになって逃げた。
道端に止めてあった車までたどりつき、ドアを閉め、ペットボトルの水を一気飲みした。脳内で大量のアドレナリンが分泌されているのが分かった。私は“リア充”を理解した。
長野市民日記71 2013年10月10日(木)
今日、長野駅前で仕事をした。
宣伝の仕事だった。モコモコしたクマの着ぐるみを着て、明日オープンするコンタクトレンズ屋のPR旗をもち道行く人々に手をふる。宣伝ティッシュを配る同僚の横で。
クマの着ぐるみは人の警戒心をやわらげてくれた。母親につれられた二才くらいの男の子が「クマ、クマ」と指さしながらそばに来たので握手した。学校帰りの女子高生達には「鬼カワイイんですけどぉー」と言われ一緒に記念写真をとった。もう気分はディズニーランドのミッキーである。
そんな充実した心境で現場を去ろうとしたところ事件は起きた。
いきなり何者かにはがい締めされるともう一人の何者かに横腹をボスッボスッボスッと正拳突きされた。「長野盆地に住む資格もなきこの野蛮人どもが〜」と思い顔を向けると、ニヤニヤした自分の兄と弟だった。朝、彼らに今日の仕事の話をしたことを後悔した。
長野市民日記70 2013年9月30日(月)
私は合コンが好きである。友人に場をセッティングしてもらい初めて会う女子達と談笑する。「OLもいろいろタイヘンだよね〜」とか言いながら。洒落た居酒屋で。
でもそろそろ合コンひかえようと思う。なぜなら自営業をしようとしているから。(自営業初心者=ぜいたく不可でしょ)。それも“人助け系の便利屋”をしようと思っている。
“人助け系の便利屋”って何?と聞かれたら「いや、オレもよくわからないんだけど」と答える。だが、しいて言えば人が「コレ、お金あげるから手伝ってくれない?」という事をありがたくやらしてもらう商売。
ただ、自分不器用なので高度な事はできない。電気系や大工系、庭師的な事はできそうにない。「じゃあ、アンタいったい何ができるんだよ!?」と言われそうであるが、そこは「自分ができることならば何でもさせていただきます!」という所存。
現在、グっとくる屋号を考えている。
長野市民日記69 2013年9月20日(金)
今日、恋に落ちた。
好きになったのはあの店のあの人。Aさん。笑顔がかわいいのである。
Aさんは革命家好き。ヒマがあるとフランス革命やロシア革命、日本の幕末で活躍した人物の本を読んでいる。特にキューバ革命の英雄チェ・ゲバラが好きで今日もゲバラの肖像がプリントされたTシャツを着ていた。
ちなみに彼女がいつも聴いている曲は『アナーキー・イン・ザUK』(パンク)である。
心のダムが決壊した私は、自分のしきたりにしたがってイトーヨーカドー最上階へ行きパンダの乗り物(百円)に乗った。
メルヘンなメロディーをならしながら進むマシーンを右へ左へと操作する。「やべ〜好きになっちゃった〜」とつぶやきながら。
ふと視線を感じ、ふりかえると十メートル後方にAさんがいてコッチを見ている。私はパンダの上からピースした。
彼女、笑顔だった。
長野市民日記68 2013年9月10日(火)
ハッキリ言って私は今迄精神的に奴隷だった。もっと言ってしまえば資本主義のブタ(飼われているブタ)だった。
欲求というものはお金によって満たされるものだと思っていた。
そして貯金がゼロになったら死ぬと思っていた。自殺か餓死で。またそうならなくとも友達は一人もいなくなり相手にしてくれるのは市役所の人(福祉課)だけになると。
だが気づいた。「貯金がゼロになってもなんとかなる。文化的な生活を営むことは可能だし、死なないし、孤独にもならない」と。
たぶん私が持った恐怖感、不安感こそが資本主義システムが個人にしかけてくる洗脳であろう。この洗脳に対抗するためには自分の内面とよく対話する必要がある。
「本当のところ何が好きで何が嫌いなのか?何をしたくて何をしたくないのか?」これからはそこを重要視して生きていこう。
もうブタでも奴隷でもないのだから。
長野市民日記67 2013年8月30日(金)
趣味を持ちたいと思った。今まで公文式で数学を勉強することが趣味だった。でも先日くもんをやめてしまった。原因は資金不足。ズバリ現在無職(正社員を目指すつもりはない)。なのでそれなりの費用がかかるくもんとはサヨナラするしかなかった。
そして現在、新しい趣味を探している。それもお金がかからないやつ。これまで人に趣味は何かと聞かれたら「読書です」と答えてきた。だが気がついた。問題は何についての本を読むかだ。この“何について”がすなわち趣味の対象になるのだ。
これまでなんとなく気が向いた本を読んできた。小説(ミステリー・純文学・ホラー・官能)、社会科学の概説書、エッセイなど。悪くはない。だが、どれもこれも徹底的に追い求めた事象はまだない。
だからぜひとも夢中になれる対象が欲しい。それも“僕の中のケダモノ君が歯ぎしりするような何か”。きっと来月にはみつかるハズ。
長野市民日記66 2013年8月20日(火)
今日、同級会に出席した。
小学校時代の同級会。旧友三十五人が駅前の居酒屋に集まった。
正直ちょっぴり不安だった。小学校時代の友人達と会うなんて十年ぶりくらい。「いったい何を話せば良いのだろうか?それに好きだったAちゃんがそばに来たらこっぱずかしくなってオロオロしてしまうかもしれん」と。
しかし、それはまったくの杞憂だった。居酒屋に入って三〇分後には、友人達と爆笑していた。「へえ〜そうなんだ〜」とか言って。
子供の頃に知り合った仲というのは不思議なものだ。長い間会っていなくとも会話した途端、昔の距離感で話すことができる。
Aちゃんともフツーに楽しく話せた。Aちゃん姓が変わっていた。三年前に同僚の男性と結婚し、現在二児の母だという。
今回会った同級生の内、けっこうな数の人達が結婚しパパやママになっていた。私はその事に“確実な時の流れ”を感じた。
長野市民日記65 2013年8月10日(土)
今日、海へ行った。
高校時代の友人達と四人で新潟の海へ行った。
砂浜で肉やカニを焼いて食べ、ビールを飲んだ。不思議なことに皆、楽しそうな顔をしているのだけどあまり喋くらない。いつもは仕事の話、恋愛の話、マンガの話などをさんざんしているのにバーベキュー中「この肉うめー」とかしか言わないのである。
親しい者達と上半身裸で、水平線を眺めながら好きな物を飲み喰いするという行為が言葉をかいした意思のそ通がもたらす楽しさを通り越し、文明以前の原始的な幸福感をあたえてくれているようだった。
食事の後は海に入り、ひたすら波に体を運ばれる感覚を味わった。そして波うち際ですもうをとったりした。
帰りの電車の中では皆、遊び疲れウトウトしているかねむっていた。友人達の寝顔を見ながら「来年もまた海へ行こうぜ」と思った。
長野市民日記64 2013年7月30日(火)
今日、デートをした。
今日はデート部の日。部員のP子とケーキ食べ歩きツアー・イン善光寺界隈編を実行した。P子は三歳年下のキュートな彼氏がいるにもかかわらずデート部に所属し続けている。彼女は「デートはデートよ。恋愛じゃないからヒロ君もわかってくれるはずよ。」と、いつも力説している。
二コ目のガトーショコラをほおばりながらP子が「だめだめ。日本映画ばかり観てないでアンタもちゃんと恋をして女の子とリアルデートしなくちゃ〜」と言ってきた。
いつもだったら「オフクロみたいな事言わんでくれよ」と反論するのであるが、その時は「なぜか夏になるとムショーに人恋しくなんだよ。『愛なんかいらねえよ夏』といきたいけどダメだ〜」と私は嘆息した。
P子は私の発言に大笑いしてから、「次のデートでは占い師に恋愛運を見てもらおう」と提案してきた。異議ナシであった。
長野市民日記63 2013年7月20日(土)
東京に来ている。
高円寺北中商店街のゲストハウスに泊まって今日で四日目。見聞を広げるための旅に来ているのだ。
昨日は文化社会学の学会「カルチュラルタイフーン」に行って同性愛カップル当事者(二人の女性)の話を聴いたり、一般公開されていないイタリア映画を観たりした。
また、新宿にある思想や哲学系の同人誌・一般書籍を売っている店をたずね店主Nさんから共産主義と無政府主義の違いについて教えてもらったりした。
そして夜、高円寺のコミュニティー居酒屋“なんとかバー”(毎日マスターが違う)で友人達と大いに酒を飲んだ。
東京に来ていて自分の脳ミソがどんどんほぐれていくのを感じる。「ああ、この世界は思っていたよりずっとずっと自由に生きていて良いんだな〜」と。二日前から睡眠薬を飲まないで眠れている。ありがたい。
西澤尚紘
長野市民日記62 2013年7月10日(水)
ひきこもっている。
最近仕事をやめてひきこもっている。べつにずっと部屋の中にいるわけじゃない。近所の神社と市立図書館と銭湯をぐるぐるまわっている。“社会的ひきこもり”というやつだ。
小学校の卒業文集に「将来は脳外科医になってクモマッカ出血になった人の命を救いたい!」と書いたがぜんぜん違う現実。
でもどうにかふんばる。パニックにおちいらないよう定期的に腹式呼吸をするようにしている。
ちなみにここ二、三日はまっている本(図書館の)は北野誠『おまえら行くな。』シリーズ。実話怪談系の書籍。基本読んだその夜は部屋の電気つけっぱなしで寝る。
なぜ怖い話を読みたくなるのか。きっと無意識が「幽霊→あの世→この世→生きている私」を感じさせるためにだ。つまりメメント・モリ(死を思え)ということ。
くいのない人生を送ろうと思う。
西澤尚紘
長野市民日記61 2013年6月30日(日)
劇団の手伝いをした。
劇団名は唐ゼミ。横浜から来た。権堂の広場でテント芝居をするのだ。私は約百五十人くらい入れるテントの設営を手伝った。
彼らはプロだ。ある人は演出家、ある人は美術家、ある人は役者である。一年中毎日毎日演劇作品を作り続けている。より“面白いモノ”を、より“完成度の高いモノ”を目指して。
はっきり言ってマネできない。スゴすぎる。
彼らの頭の中ではどういう事が起きているのだろうか?どういうところで楽しんでいるのだろうか?もっと言ってしまえば演劇をしていてどんな時に脳内で快楽物質(ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンなど)が発生しているのだろうか?
今日は、文字通り一日中朝から晩まで雨が強く降っていた。だが彼らは約十四時間、公演会場、舞台、舞台美術を設営し続けた。
彼らは“プロ”だ。
西澤尚紘
長野市民日記59 2013年6月20日(木)
商売について考えた。
どうにか商売、たとえば“しじみ売り”的な事ができないか思案している。「自分ができる事、やりたい事は何か?」
昔、ドイツからシュタイフ製テディーベアを輸入し、販売できないものかと考えたことがある。実際にインターネットを使い一体とりよせ手にとってまじまじとみつめた。そして思った。
「ああ、ぜんぜんテディーベアおよびぬいぐるみにキョーミわかね〜」と。計画、根本的なところで頓挫である。
それからはあまり本気で商売について考えず、たんたんとタイムカードを押して生活してきた。
でも、ここに至り、また本気で考えている。今度は自分の性にあっている路線でいくつもり。なかなか案が浮かばないけどたぶん大丈夫。この世界は良い意味でなんでも有りみたいだから。昔思っていたよりもずっと。
西澤尚紘
長野市民日記59 2013年6月10日(月)
今日、ケータイ電話をやめた。
駅前のPHSのショップへ行って通信通話サービスを解約してきた。
スゴい。これでテレビなし、車なし、インターネット(PC)なし、ケータイなしの生活に入った。もうロイヤルストレートフラッシュな状態。貯金がなくなって困ったら市役所がすぐに助けてくれそうな勢いである。
これは実験なのだ。私という一人のヘンタイ(どこか何かがかたよっている人間)がどこまで現代的な生活を手放してなお社会とつながり楽しく生きられるかという実験。
たぶん大丈夫。ぜんぜんイケる気がする。テレビがなくても本がある。車がなくてもチャリがある。インターネットはマンキツで。友人とのメール交換は、もはや文通。
そして今日ケータイをやめたと同時にNTTの固定電話を設置した。まったくもって華麗なる生活。
明日から楽しみだ。
西澤尚紘
長野市民日記58 2013年5月30日(木)
今日、草とりをした。
もう毎日毎日草とりである。今、はじめて会った人に「あなたのお仕事は?」ときかれたら「草とりです」と答えるだろう。
だんだん夏になってきて暑く植物の成長がモーレツに早い。山を眺めても緑のボリューム感たっぷりである。
草をぶちぶち抜いていると思うことが二つある。一つは「早く家に帰ってペプシコーラを飲みながらゲオでレンタルしてきたアニメ『ヨルムンガンド①〜③』が観たい」ということ。
もう一つは「どうすれば思考をもっと自由に展開できるか?」ということ。なぜか脳ミソがガチガチに固まる錯覚におちいる。
「このスマートホンがオレをネットの世界に縛りつけるんだ!」とスマホのせいにしたいところだがあいにく持っていない。
しょうがないので深呼吸をし小休止。おもむろにトッポを食べ始めた。
西澤尚紘
長野市民日記57 2013年5月20日(火)
今日、本を売った。
基本、買って一度読んだ本は再読せず手放してしまう。リリー・フランキーの『誰も知らない名言集』以外は。
だがなんとなくここ半年くらい本を読了しても手放さず、枕元などにひたすら平積みにしていたら最近部屋が手ぜまになってきた。
なので登山用リックとショルダーバッグとフロ敷を用意し、本をつめ駅前のブックオフにもっていった。
売った本の数、五九冊。
数えながらリックに本をいれていたわけではなかったのでレシートを見てびっくりした。「半年でどんだけ読書すんだよ〜オレ」と思った。
そしてある事に気づいた。売った本の内約八〇パーセントが“自己啓発”系の本。『七日間で頭が良くなる本』、『考える力がつく本』、『やる気が起きる本』など…。
ある意味ヤバい自分を感じた。
西澤尚紘
長野市民日記56 2013年5月10日(金)
今日は、不安を消した。
やばいね〜人間、不安が消えると考えることもしたくなくなるのか特に書くことが無い。なんかちょっと動物になった気がする。たとえば“飼われてるブタ”とか。
どうやって不安を消したかというと、あきらめたのだ。勉強によって頭を良くするということを。もっと具体的にいうと、これまで続けていたくもんでの英語・国語学習をやめたのだ。
正直、これまで「頭がいい人」になるために勉強してきた。強迫観念的に。だってビジネスパーソン的にデキが良くない自分が許せなかったから。(今もイヤですが)
だが気がついた。いくら二つの言語を勉強しても自分が欲するような人間(頭の回転が速い人)にはなれそうもないということに。
だからあきらめた。
今はただただ“たいしたことない自分”に慣れるしかないと思っている。
西澤尚紘
長野市民日記55 2013年4月30日(火)
今日、カゼをひいた。
たまたま農業パートの仕事が雨のため休みだったのが不幸中の幸いだったが、ツライね〜カゼは。いつもの自分だったら喜んでスタバで読書するところだ。
昨夜、コンビニで購入した『エヴァンゲリオン用語・語源事典』を手にとり「自我境界パルス」とかについて調べたかったが具合が悪くてそれどころじゃなかった。
最初は、昨日すじまき(米の種まき)という重要な農作業を終え、その達成感から調子に乗って発泡酒を四缶も飲んだばちがあたった?と思い寝袋(かけブトン不所有)にもぐり込んだ。
しかし、六時間くらい寝ても具合いの悪さが治らず近所の病院に行き、熱を測ったら三七・四度。発熱確定。
最速、抗生物質と思われる薬を四種類ほど処方してもらいすぐに服用。明日の朝には元気になっていたいとせつに思った。
西澤尚紘
長野市民日記54 2013年4月20日(土)
今日、「交渉」についての本を読んだ。
最近、交渉術の学習にハマっている。今日も『武器としての交渉思考』という本を読んだ。交渉術の背景にある「大丈夫、話せばわかる」という発想が好き。
正直、日常、とくに仕事面では交渉などできていない。毎日、上司にことこまかに指示してもらい、ミスをしたら「クソボケガ〜」とおこられ、一日につき「スイマセン」を平均十回くらい言ってどうにかやりすごしている。今のところ交渉どころじゃない。
でも、そのチャンスをねらっている。ネゴスキルが発揮できるその時を。
先日、我が師Mさんに「君は将来、何もできない“何でも屋”(報酬は主にゴハン)をめざせばイイ」と言われた。
かなり、芸術的もしくは江戸時代的なニオイのする職業を想像するわけであるが、本当にそうなるとしたら、自分の日常は交渉におおわれるだろう。まさに交渉天国である。
西澤尚紘
長野市民日記53 2013年4月10日(水)
今日、デニーズへ行った。
今日もやはりデニーズである。「いつものヒト来てるネ〜」である。とりあえずくもんの宿題と読書をする。ちなみに今読んでいる本は『できる男の交渉術入門』と『ホームレス大図鑑』。将来への希望と絶望のミックスという感じである。
そして今日はシナリオを書く日。目の前にまっさらな原稿用紙を置き、ストーリーを考える。正直なんも浮かばない。
ソコ(デニーズ内)でなければ、『週刊SPA』を床にたたきつけ永井先生ふうに「書くこと無いんだが〜」と声をはり上げているところだ。
本当は恋愛モノが書きたい。『マーガレット』的な。放課後とケーキセットとキスが入ったようなやつ。でも自分の原体験および技量の無さが原因でムリ!
しょうがないので今回も先輩と後輩ジャージ系“男の友情”路線でいくことにした。
西澤尚紘
長野市民日記52 2013年3月30日(土)
今日、長ネギの苗を植えた。
びちゅうぐわで地面を耕し、雑草を取り除き、そこにモミガラをまぜ込み準備完了。
十センチ間隔で苗を植えつけていった。基本的に農作業素人なので両ヒザをつき、じょうぎで間隔を計りながらやっていった。超素朴かつ地味な作業。
作業しながら思った。「パソコンっていいよね〜」と。こう見えてコンピューター好きな自分。「ハッカー」とか「プログラミング言語」とか『攻殻機動隊』とかいった言葉を耳にすると“モエる”。
だが、いかんせんPCを実際に操作するのは苦手。この間買ってきた「エクセル二〇一〇」をインストールできないでいる。
だからPC関係の事柄は観念上で楽しむことにしている。SF好きとほぼ同じ。
昨夜も友人に「やっぱ九十年代にでたスケルトンのマックはシブいよね!」と熱く語った。マックさわったことないのに。
西澤尚紘
長野市民日記51 2013年3月20日(木)
今日、将来について考えた。
現在、農業のパートをしている。毎日太陽の下で土をいじくるのは性に合っている。
ただパートではなく自営に憧れている自分。現在の仕事三年やった時点でやめさせてもらおうと思っている。
そして起農する。山の中の耕作放棄地を借り、農作物を作って売る。またそれを自分で食べて生活する。かなり野性的な生活になること間違いなしだ。
だがわかっている。わかっているのだ。「言うは易く行うはがたし」ということを。「世の中そう甘くねーぞ」ということを。
だから単純に農家になると言ってもどんな仕事でもするつもり。そう、百姓。ある人が言っていた。「百姓とは百の仕事をする人のことだよ」と。
ハッキリ言って将来について考えると超不安。もうレベル4である。でも不安と戦い続けようと思う。自分を見失わないように。
西澤尚紘
長野市民日記50 2013年3月10日(日)
今日、国語を勉強することにした。
最近仲間達といろいろなワーク(お金とかは発生しないのだけどやっといた方が良い仕事)をする上で自分の発言の内容が相手になかなか通じない。
私が何か言うと多くの仲間が第一声「え?ナニ?ちょっと意味がわからない。もう一回言ってくれるかな」と問い返してくる。
おそらく私の話の中でいろいろなものが抜け落ちているのだ。それは、主語だったり述語だったり、はたまた論理性だったりするのであろう。正直、対人言語コミュニケーションが苦手。(非言語コミュニケーションも難有りだけど)
もしかしたら私の場合、全ての対人コミュニケーションをメールや手紙や交換日記で行った方が良いのかもしれない。しかしそれでは時間がかかりすぎてシャバでは通用しない。
だから国語を勉強する。国語力をみにつけ会話力があがればもっと日常が楽しくなると思う。「いっちょやってみっか〜」である。
西澤尚紘
長野市民日記49 2013年2月28日(木)
今日「チチ」(仮名)というお店を研究する事に決めた。「チチ」は、おとなのオモチャ、を売っている。エロを売っているのだ。
「チチ」はなんと営業四〇年以上。二〇〇九年の夜に中身がどんなエロDVDか分からない「エロ福袋」を購入した際、店のおばちゃんがそう言ってた。
でもなぜ「チチ」研究をするのか?それは自分の「異性に対する肉体的な欲望の弱さ」を感じ、その欲望を増幅させたいからだ。
最近、気がついた。「もうこの歳になったらプラトニックラブ精神では恋愛、いや交際はなりたたないのではないか」ということに。
「アナタの心とカラダが欲しいのです!」という勢いがなければイカンということに。
でもいまいちつかめんのです。その感じ。
だから「チチ」のおばちゃんからエロのなんたるかを聴きたい。はっきり言っておばちゃんは「エロの向こう側」まで知っている気がする。今晩エロ宇宙の扉を開けようと思う。
西澤尚紘
長野市民日記47 2013年2月20日(水)
今日、くもんの教室へ行った。
私はくもんで数学と英語を勉強している。
とある小学生男子二人が教室でこんな会話をしていた。
A君「ボクね、サケのおにぎり食べるとあく力が倍にパワーアップするんだ!」
この発言に対してB君「それはない」
A君「それはないか〜。でもサケのおにぎりがおいしすぎてメチくちゃ(以下忘)」
面白い!さすが子供。いそいでノートを取りだし書きとめた。
最近、自分的に面白いと思う言葉をつい思考収集してしまう。ノートを開くとこんな言葉をメモしている。
「半農半エロか〜」
「あなたなんか心の底からファックユーですよ」(少々下品でスミマセン)
「せん回する脳ミソ」。かなり意味不明。それでも探してしまう。「神様、どうか面白い言葉を私にください!」という状態である。
西澤尚紘
長野市民日記47 2013年2月10日(日)
今日、フリーマーケットに出店した。
商品は古本。読み終えた社会学、哲学、文学の書箱類。友人たちのまねをしてリンゴ箱に本を入れ売ってみた。
お年寄りの方が時折足をとめ、本について雑談し、眺め、買っていってくれた。なんかとてもうれしかった。
この日、快晴で空気が春の様に暖かく、「あ〜人生ってスバラシイね〜楽園だね〜」と、心の中でつぶやいていた。
ところがである、右横りのブースで古着を売っていた男女がケンカを始めた。どうやらこの男女夫婦で家庭内の嫁姑問題、夫の浮気問題が原因らしい。もうつかみ合いである。
見るに堪えなくなったので私は仲裁に入った。「ちょっと、ちょっといったいどうしたんですかー?!」と。
なぜか最後の方、夫のかわりに私がビンタされどうにかケンカ終了。
私は「現実の世界」を感じた。
西澤尚紘
長野市民日記46 2013年1月30日(水)
今日、良い事を思いついた。
毎日、一コ「物語」を考え、ノートに書くのだ!
このアイディアは、友人のIさん(女性・アーティスト)の「毎日作詩」を参考にしたもの。
「物語」を一コといっても、ミヒャエル・エンデみたいな文章を長々と書くというものではない。
漢詩の構成法の一つ「起承転結」にのっとって「物語」の筋書きを箇条書きするのだ。とても簡単!(…なハズ)早速一つ考えてみた。
①組織の先輩、後輩の情報スパイ活動を発見 ②後輩「国家が秘密りに細菌兵器をしようとしている」という ③先輩正義感を覚え後輩に助太刀 ④二人とも国家反逆罪確定、フィリピンに逃げる
こんな感じ。このような思考はおそらく子供の「一人遊び」と同じだと思う。
「私、大人の一人遊び始めます」である。
西澤尚紘
長野市民日記45 2013年1月20日(日)
今日、登山をした。
妙高山(標高二四五四メートル)に登った。
妻のキヨ子と二人で。妻にカッコイイ所を見せるため登山装備をカジュアルに一新し、事にのぞんだがまったく無意味だった。
元登山部の彼女に補助してもらわなかったら今頃山岳救助隊へSOSをだしていた。
でもとにかく山頂に二人して立った時は感動した。雲海上の風景、それは天国であった。
その絶景を眺めつつ二人、温かなコーヒーを飲んでいると彼女が前を向きながら一言「ねえ、私達別れましょう」といった。
私は「え?なんで冗談だろ(笑)?」といったが私の方を向いた彼女の目は真剣だった。
理由は私のキャバクラ通いに対する私への失望だった。全部バレていた。何もかも。
私は妙高の山頂で三時間土下座し彼女に謝罪し続け最後に血判状を提出、どうにか許してもらった。私はマジで人生に遭難する所だった。心から反省しつつ下山した。
西澤尚紘
長野市民日記44 2013年1月10日(木)
今日は詩を書いて遊んだ。
仕事を終え家に帰ってきたらなんかもう疲れて何もやる気がしなくて、布団にもぐり込んだ。(我が部屋には暖房装置が無い)何十回も観たハリウッドのアクション映画を子もり歌がわりにつけ流しつつしばしお昼寝。
目をあけるともう夜に近い夕方だったが、やはりなんかダルく、アグレッシブに活動する気が起きない。
そこで詩を書くことにした。こんな気分の時には詩を書くことにしているのだ。もう中原中也である。『ヤギの歌』である。
布団の横の黒カバンの中から“グワシ”とノートを取りだし、鉛筆でカリカリポエムを書いてった。
その内容は?その詩の内容は?と、思うかもしれないが、はずかしいのでここには記しません。(エロポエムではない)
ただ詩の外にこう書いた。「私は虚構を生ききる」。もう完全に詩人である。
西澤尚紘
長野市民日記43 2012年12月30日(土)
今日、N教授(女性)と会った。
N教授は私の大学時代の恩師。近くのカフェに入って一緒にコーヒーを飲んだ。
私が数学の問題(くもん式)の理解できない所を質問すると、むかしのように易しく丁寧に教えてくれた。私は数式のあやふやだったカ所を理解できてうれしかった。
教授は私に「今年、君はどんな経験をしたの?」ときいてきた。
私は仕事(農業)で感じた大地の力強さ、春夏の雑草のモーレツなはえ様、秋稲かり時の根気の入れ具合、収穫の喜びなどを語った。
又、半年かけて仲間たちとお芝居を作り、その上で学んだ深い対話の重要性、特に非言語コニュニケーションの重要性について述べた。
教授は私との会話の最後、私にこう質問してきた。「で、君…恋愛の方では何か?」
私は遠い目をして答えた。
「恋はすばらしく、そしてむずかしいものですね」と。二〇一二年万歳である。
西澤尚紘
長野市民日記42 2012年12月20日(木)
今日、忘年会および送別会があった。
忘年会はともかく誰の送別会か?私の送別会である。
ベトナムへ転勤することになった。ベトナム・ハノイ店(屋台)で「さぬきうどん」を現地の人に売るのだ。
私は最初ベトナム行きを命じられた時、「え〜そんな『地獄の黙示録』系の所へ!?」と、思ったが風土文化を調べたら好みだった。
商売がうまくできるかが心配だが部長が「我が社のさぬきうどんは必ず世界で通用する」と、力説するのでなんとかイケるだろう。
ちなみにベトナムの通貨は「ドン」。うどんを売ってドンを得る。なんかもう音的にがんばるしかない感じ。
向こうへついたらすぐに中古の原付バイクを購入するつもり。あとベトナム笠も。
一日の仕事を終え、原付にまたがり夜のハノイの街へ溶けていく私。想像すると怪しい気持ちになった。
西澤尚紘
長野市民日記41 2012年12月10日(月)
今日、カゼをひいた。(本当は昨日)
小学校三年生の時からこのかた発熱はしたことがなかったのに今回とうとう熱をだした。
本当に恐ろしい思いをした。頭脳、五臓六腑、各関節すべての機能が、ガタガタになった。頭痛、悪寒、嘔吐、げりにおそわれた。
最終的には水っぽいウ○コを二度もらした。(これは精神的にキツかった)
“健康な体”がとりえだったが、そろそろ免疫力が落ちてきているようだ。だからこれからはもっと体をいたわろうと思う。もっとニンジンやゴボウといった根菜類を食べよう。
そして今迄みたいにオシャレとかに気をつかわないでもっと厚着をしよう。
ただ今回カゼをひいて良かったことがある。我が人生の先輩Mさん(女性)に「君はあと二キロやせた方が良いね〜みため的に」という助言を五日前にもらっていた。
それが今回のカゼでまさかの四キロ減!
さっそく課題クリアである。
西澤尚紘
長野市民日記40 2012年11月30日(金)
今日、成田空港へ行った。
べつに海外旅行のためではない。恋人のA子が無類の乗り物好きで飛行機を観に行ったのだ。
A子と私は空港の旅客機展望台に上がり、世界中へ向かって次々と飛び立って行く飛行機をひたすら眺めていた。
彼女はツァイス社製双眼鏡を目にあてながら「あのボーイング七八七の右翼のラインがシブイんだよね〜」とききとしてひとり言を口にしていた。
だが六〇分後事件が起きた。
空港内のおみやげ屋を目指し二人歩いていたら突然私がぶっ倒れた。持病の貧血が三年ぶりにでたのだ。そこはエントランスホール中央付近であった。
うっすらと目をあけた時、A子が「誰か助けてください!」と叫んでいた。私は「コリャどこぞの映画みたいだね」とつぶやき、彼女の手首を強くにぎった。
西澤尚紘
長野市民日記38 2012年11月20日(火)
今日はくもんの教室に行って英語の教材を五枚×六日分もらってきた。明日から英語の勉強を始める。
これで十年後には英語で書かれた小説が読めるハズ。楽しみだ。
おととい十日間続いた演劇の公演が終わった。十日間で約八百人の方が劇を観てくれたという。
「皆様ありがとうございます!」
私は公演中、朝、覚醒するとある思いにかられた。強く。
「演劇は戦いだ」ということである。もうこの気持ちに説明はつけられない。とにかく毎日そう思った。
そして、セリフを言う時の感覚はこうだ。
「瞬間的に感情を爆発させる。花火の着火みたい」かなりかっこつけな発言だと思うが本当にそう思った。演劇…「なんじゃコリャ〜!?(優作風に)」である。
西澤尚紘
長野市民日記38 2012年11月10日(土)
今日、床屋へ行った。
明日からの演劇公演にそなえて髪をセットした。いつもの私であれば、二ミリの坊主頭にしてもらいところであるが芝居の役作りを考え、本日は髪をすいてもらう程度にしておいた。完全に俳優気どりである。
演劇をしていて演劇に対していろいろ考える事が多くなっている。「演劇とは何か?」とか「演劇の効果は?」とか。まったくもって俳優気どりである。
結論から言わせてもらうと「今は全然わからない。でもとにかく他者とよーく対話しないと劇ってなりたたないんだな〜」ということである。
通常ありえない深度で他者と対話する必要性が劇を作る上で時に発生する。この間共演者と演技について話していて、大真面目に「オレだってマスターベーションくらいしますよ!でも…(以下略)」と述べている自分にビビった。演劇の世界、恐るべしである。
西澤尚紘
長野市民日記35 2012年10月30日(火)
今日、ちょっとした決断をした。
この冬、自宅自室にてストーブを使用しないと決めたのだ。
正直、長野の冬はクソ寒い。真冬はしょっちゅう氷点下になる。でも、その寒さを超克(自分の部屋で)したら立派な諜報員になれると思うのだ。ジェイソン・ボーンばりの。
ちなみに寒い部屋の中では、寝袋につつまれてコロがっているつもり。
気分はもう「おカイコ様」。そんな感じでひたすら遠い春を待つ。ある意味楽しそう。
この生活には肉体と精神を鍛えるという意味以外にも良いことが一つある。灯油代がうくのだ。
ういたお金で大好きな焼きイモが一ヶ月につき五〇個くらい買える計算になるが無論ガマンする。そのお金で英語と柔術を習うのだ。それでますますエージェントっぽくなれるってワケ。「世界を股にかけて〜」
この冬、私の決意はマジ(本気)である。
西澤尚紘
長野市民日記35 2012年10月10日(水)
今日は稲扱きをした。
(注)稲扱き(イネコキ)とは稲穂から籾(モミ)をこき取ること。
ひたすら稲扱き機で干しておいておいた稲をコキ、三〇kgの袋に詰めていく。ざっと四反(10アール×4枚の田)なのでこの作業は十二日間くらいかかると予想している。
それにしても春の小さいモミの状態から、毎日稲が成長して行くのを見続け、大量の米を収穫するにいたる。これ、けっこうスゴイ!けっこうなミラクルだと思った。もう大地にキッスである。
現在やっている農作業のパートこの十月二四(水)で一年になる。正直この仕事十年は続けたいと思っている。十年続けることが出来れば自分、本物の百姓になれると信じているっス。ちなみに本日日記も今回でちょうど一年。「いつも私を支えてくれるネオンホールの大澤夏海さん、小川哲郎さん、日記を読んでくださる皆様に百万の感謝を!」西澤より
西澤尚紘
長野市民日記35 2012年10月10日(水)
今日は少し内向的になっている自分に悩んだ。
本当は想像力をどこまでも高く飛翔させたい。でも心の働きが自分の内部にばかり向かってしまう。想像力の大幅な低下。「原因は?」「そりゃいろいろあるよ〜言えないけど!」
しょうがないので内向的に楽しい事柄を考えてみる。
一人本場アメリカのディズニーランドへ行ってミッキーと握手。一人山奥のコテージに泊り部屋でスティーブン・キングのホラー小説を読みまくる。一人東京上野のカプセルホテルに連泊。
自分としては完璧にイケてる夢想。
でもこれではイカン。イカンよ!もっとアグレッシブにならんと。大事な演劇の公演(自分でる)もひかえているわけで。
よし、こういう時はお洒落をして友人と焼き肉でも食べに行こう!ちゃんこ鍋でも可です。
西澤尚紘
長野市民日記33 2012年9月20日(木)
今日、自分が愛している事柄を考えてみた。
私は、正直ヒマが好きである。“一日の内適度に仕事をしたらあとはヒマ”これが最高だと思っている。
「じゃあアンタはそのヒマな時間いったい何すんのさ?」と言われるとちょっとこまるのだけどとりあえず以下の二つの事がしたい。
他者とお話をしたい。家族友人知人などと、いろいろなシチエーションで。ゴハンを食べながら、お酒を飲みながら、おフロにつかりながら、公演でブランコに乗りながら。
超深い話から、笑える下ネタまで、とにかく他者とトークがしたい。
あともう一つは読書がしたい。本当に私は本が好き。近所に市立図書館と大学図書館と普通の本屋と複数の古本屋があって天国だと感じている。各種学術書、各文学、エロ小説何でもいける口である
。
このトーク&リードが私の「ラブ」の対象。これからもガンガン愛していくつもりよ。
西澤尚紘
長野市民日記31 2012年9月10日(月)
今日は早朝デニーズへ行った。
早朝といっても朝四時をすぎた頃。正直、自分休日にしてはメチャクチャ早いと思う。(おかしいな〜昨夜ストックしておいたロヒプノール四錠とレンドルミン一錠をガブ飲みしたハズなのに…?)
でも好きなんです。早朝のデニーズ窓際の席。そこで猛然と数学の勉強(くもん式)と読書、日記を書く。熱いコーヒーを飲みながら。最高に楽しい。
それにしても最近、考えちゃうんですよね。「これからの10年間の人生」について。
ぶっちゃけ私も素敵な異性と出会い、ロマンティックな恋愛をし結婚したい。そして幸せな家庭を築きたい。ある程度のお金を得つつ。(会社員とかになって)
でも、そうは問屋が卸さない。今こそ反逆するのだ。種の本能に。遺伝子の欲求に!
10年後圧倒的な独立心を満たして愛する人々を力一杯ハグするつもり。米国人なみにね。
西澤尚紘
長野市民日記31
2012年8月30日(木)
今日は21時40分に就寝した。
「今日は」と書いたけどこの日記は次の日につけたものっす。
とにかく最近、夜は20時を過ぎるとねぶたくなり22時頃寝、朝4時台に起きる。
我ながら、「スゲー二年前に死んだ(オレ)のばあちゃんみたいな生活サイクルをおくってるわ〜」と思う。
ばあちゃんはよく夜NHKの歌謡曲なんかの番組をよこになってうつらうつらしながら観ると、21時すぎには床に入っていた。そして朝は5時前に起きると田畑で仕事したり、庭の草を取ったり、仏壇の前でお教をとなえたりしていた。
私も朝と午前中が勝負の百姓仕事をしているので必然的にばあちゃんと同じ生活スタイルになるんだね。問題は今取り組んでいる演劇の練習。練習は夜の22時頃迄ある。私はねむ気に対抗するためにカフェインを摂取することにした。数学者みたいでカッコいい!
西澤尚紘
長野市民日記30
2012年8月20日(月)
今日は中学時代の男友達と会った。
夜、中学時代の友人七人と東和田の平安堂に集まり、柳原にある焼き肉食べ放題の店ソウルへ行った。
食べまくり、飲みまくり(酒ではなくジュースかウーロン茶)、しゃべりまくった。
すごく楽しかった。
話は多岐にわたった。最近のおたがいの動行、仕事、恋愛・結婚について。(最終的には下ネタにに行きつく)
そんな話の中で私がこんな話をした。
「オレさ、月に3回くらい一人で夜デニーズに行くわけなんだけどそん時は決まってチョコデビルズサンデーを食べるんだよね〜。夕食がわりに」
友人達は「なんなんだそのバカな行動は」みたいな事を一斉に言ってきた。
私が「え?おかしいかな」と言ったら友人達は「その問いかえしじたいがバカすぎ」と言った。私は私の特殊感覚を認識した。
西澤尚紘
2012年8月10日(金)
今日、凄腕ハッカーと食事をした。
(注)ここでいう「ハッカー」とはコンピュータとインターネットに高い技術と感心を持った人のことを指す。
その凄腕ハッカーとはM君。中学時代の友人。待ち合わせの店に入ると最新型ソニーバイオを左脇に抱えた彼がそこにいた。M君は東大でスーパーコンピュータを使った人工知能の研究をしていた。(現在警視庁公安部に所属)
彼は昨日米国から帰国した。「米国には何用で?」と質問すると米国中央情報国(CIA)でサイバーテロ対策の研修を受けてきたという。
私が「え〜そんなミッションインポッシブル系の場所で仕事するなんて凄いね!」と感嘆すると彼は「いや〜意外と地味だったよ」と言った。何が「地味」なのかよく分からなかったが、現地のハンバーガーは日本のと比べて超デカいという話で盛り上がった。
西澤尚紘
長野市民日記-028 2012年7月30日(月)
今日、数学の勉強をした。
最近はけっこう一生懸命数学の勉強をしている。今日も、昼間県庁前のデニーズへ行き、デビルズブラウニーサンデーを食べ、深入りコーヒーを飲みながらカリカリxの計算をしていた。
「なんで今さら数学なの?」と友人に言われる。私はいつも「だってもっと抽象的で難解だけどためになりそうな生物学や経済学の本が読めるようになりたいんだ!」とキリっとした顔で応答している。
でも本当は『数学ガール』なる小説が楽しく読めるようになりたい。あとできれば宇宙人と楽しく交信する装置を作りたい。それが目的。いろんな意味でロマンチストな私。
この間父に「数学になんか興味持たなくていいんだよ!金の計算ができればそれで十分なんだから」と言われた。でも父は土木技術者で日頃からバリバリ幾何学を多用している。
私はまず父を越える必要を感じた。
西澤尚紘
長野市民日記-027 7月20日(金)
今日は友人達と演劇の練習をした。
現在半年がかりで皆と寺山修司作のしばいをつくているのだ。
演劇をやっていて思うことが今のところ二つある。
一つは、「自分てふだんから何者かを演じているよな〜」ということ。「何者」かっていっても本当の「自分」なんてものは特に無いんだけどね。
とりあえず私の場合、他人に対する時は、「きまじめ」+「明るい変態」キャラに取り組んでいる気がする。だいたいそのキャラでうまいこと事は進むので当面それでやっていくつもり。
もう一つは、演劇…一つの構成された物語を作っているのだけど実は己も常に何らかのストーリーを設定して日々を生きているということ。それもどっちかっていうと悲劇や不条理劇ではなく喜劇又はロマンチックなやつ。
具体的な内容はハズいので秘密です。
西澤尚紘
長野市民日記-026 7月10日(火)
今日夕方、空を眺めていた。
最近、仕事柄か(農業パート)前よりもよく空とか山とか大地を見ている気がする。
おととい田の草をとっていたらカルガモの子供がいた。「おお、初めて見た!うぶ毛がはえていて小さくてカワイイ!」と思った次の瞬間、笑っちゃうくらいの速さで子カルガモは飛ばずに泳いで田の奥のちへと逃げさって行った。ザ・小さな自然の驚異!
あとこの間、仕事中あぜ道を軽トラで走行していた時、あやまって車の左側前輪後輪をひとんちの田へおとしてしまった。もうこうなってしまったら人力ではどうにもならない。私の雇い主である先生(医者であり百姓)から怒られまくるは、JAFを呼んだので自分のサイフから万札が消えて行くわでしばらくヘコんでいた。「俺、何やってるんだろう」と。
でも、その日の空はあまりにもおだやかで広く、それを見ていたらなんか心が救われた。
今日も素敵だった。茜色に染まった世界がね。
西澤尚紘
長野市民日記-025 6月30日(土)
今日はパンダの乗り物に乗った。
夕方、数学の勉強をしに近所のイトーヨーカドー5Fにあるファミレスに行った。イトーヨーカドー5Fには、レストラン数店舗とゲームセンターで構成されているのだが、店に入ろうと思って歩を進めていると、ふとパンダの乗り物(子供が乗るやつ)が目についた。
最近なにげに切ない感情になりやすくなっていた私は「あの頃(幼児期)の感動をもう一度ボクに!」と思いパンダマシーンにまたがった。
そして、百円玉を入れた。パンダは約三分メルヘンな曲を流しながらゆっくりと動いた。ハンドルがついていたので右に曲がったりしてみた。
パンダが止まって思った。「まったく感動しない!ぜんぜん面白くない!こりゃいつも仕事で乗っているトラクターの方が速くてエキサイトできるわ!」と。私は自分が確実に大人になっていることを感じた。
西澤尚紘
長野市民日記-024 6月20日(水)
今日はブランコに乗った。
仕事(田植え)の帰り、自転車をこいでいたら空腹を感じたので道ぞいの小さな公園に入りベンチへこしかけた。そしてリュックからデイリーで購入しておいた豆菓子を取り出しポリポリ食べた。
食後、ふと見ると、黄色と緑色でとそうされたブランコが目についた。
私は「よーし」と思いブランコの上の横棒につかまり日頃やってみたいとおもっていた「けんすい運動」をしてみた。四回ほどできて「オレもまだまだイケる」と思い、息をついた後おもむろにブランコに座った。
そして気がついた。中学生以来くらい(約十四年ぶり)にブランコに乗ったことを。
早速、こいでみた。けっこう気分が良い!上下しながら初夏の広い空を見上げる。さわやかな風がほおにあたった。
なんかとても懐かしい気分になった私はその場で幼馴染のYちゃんに電話をかけた。
西澤尚紘
2012年6月10日(日)
今日は囲碁セットを得た。
本日、給料日だったので、テーブルゲーム専門店に行って碁盤と白・黒の碁石を一そろえ購入して来た。あと囲碁初心者なので本屋で『誰でもできる囲碁入門』という本も一冊入手した。
なぜ今囲碁かというと。理由は二つある。一つは頭が良くなるようにだ。昔、戦国武将達はたしなみとして碁を打ったという。きっと彼らは碁をとおして論理的思考と戦略的思考を学んだのではないかと推測する。私は少々、そっち方面の思考力に苦手意識があるので鍛えたいのだ。
あと囲碁が持つ、「手談」という考え方に興味がある。碁を打つ間、対座する二人の人間はその手筋からお互いの心境を感じとることができあうというのだ。まさに非言語コミュニケーション。実に面白そう。
早速明日あたり、友人であり、ゲーム仲間であるAさんにお手あわせ願おうと思う。
西澤尚紘
平成24年5月30日(水)
今日は妻と二人でドライヴに行ってきた。
行った先は野尻湖。平日だったのであまり人がいなく静かだった。ランバージャック(英語できこりという意味)というカフェに入り湖面を見ながらオープン席でコーヒーを飲んだ。
妻は私にこう言った。
「最近なんだかとても時が過ぎるのが速く感じるの。一週間、一ヶ月があっというまによ。なぜかしら?」
私は約5分黙り込み考えた。物理学的にまた哲学的に。マジに。
だが、まったく答えはみつからず、「ゴメン、ギブです」と言った。そう言った後私はすくと立ち上がり、彼女の瞳を見つつウルフルズの「バンザイ」を歌った。エアギターで。
「イェ〜イ君を好きでよかった〜このままずうっとぉずうっとぉ死ぬまでハッピ〜(以下略)」と。
彼女はクスリと微笑み晴れた空を見上げた。
西澤尚紘
今日は午後お昼寝をした。
「今日は」と書いたが正直言うとほぼ毎日お昼寝をしている。ギリシャ人なみに。
Pm適度なノラ仕事を終え、朝食と同じ大根のミソ汁を吸いつつ二杯の大盛りゴハンを食べ、スコッチウイスキーを少しだけ口にし、ゴロンと横になりグーグーねむる。それが三十分なのか一時間なのかは分からない。時計を見ないからね。
そしてアンニュイ(けだるい)感じでムクリと起きあがると、大好きな読書をし、大好きなカフェに出かけ、いつもの銭湯へつかりに行く。パーフェクト!まさに自分としてはパーフェクトな午後のすごし方である。
しかし久しぶりに道ばたで中学の同級生M君(妻、二人の子持)に会い言われた。
「おいおいもうイイとしになるんだからちゃんと会社に入れよ!結婚とかできないだろ。それから車買えよ!」私は「うん、そうだよね〜」と言ってお茶をにごしたのだった。
西澤尚紘
今日、友人がドラムを始めた。
友人の森田君がだ。彼とは中学から友人で今はミソ職人をしている。
彼が私に駅前のサイゼリヤでこう言った。
「オレさ、バンドやりたくてさ、ドラム始めたんだよね。さっき初めてのレッスンに行ってきた。ドラム、あれ超クールだね。」
私は、彼に対して、バンドってたってボーカルは?ギターは?ベースの人はどうすんの?という質問を浴びせたかったがグッとこらえ一番大事な質問をした。「なんでまた今になってドラムを始めようと思ったの?」
彼は「だってオレのまわりの友人達があまりにも楽しそうに一生懸命音楽をやってるもんだから、オレもやりたくなっちゃったんだよ!」と、澄んだ瞳で言った。
我が友は一年程前からライブに通うようになったらしく今ではすっかり常連だという。
そして彼は私をバンドのメンバーに誘ってきた。私は「キ、キーボードなら」と答えた。
昨日は夜のファミレスに行って空想にふけった。
ファミレスは近くのデニーズ。ホット緑茶を飲みながら『幻想世界十一カ国語ネーミング辞典』、『すっきりわかる!超訳「哲学用語」事典』、電子辞書『ブリタニカ国際大百科事典』をペラペラめくり、空想にふけりまくった。
なぜそんなことをするかというと硬くなっている頭をほぐすためだ。最近、自分の血糖値だの、経済活動の活性だの、将来的展望だの少々長い時間考えすぎた。
今日の昼間、高校からの友人二人と志賀高原へドライヴし、帰りにカンバヤシ温泉のお湯につかってきた。温泉施設ロビーに置いてある一・五m程のツキノワグマのはくせい見ながら「コイツだったらオレ、マジ本気出せば勝てるワ」とか友人が言っていてすごく笑った。
こんな感じがグッドだと思った。
今日は、自分の中で考え方が大きく変わった。結論として、スペシャリスト(専門家)になるよりもゼネラリスト(多方面の能力・知識を持つ人)になった方が自分としては「人生楽しいかな!」という考えにいたったのである。
例えばチェ・ゲバラは「(人の子の)父であり、医者であり、旅人であり、革命家」であったという。(彼の自伝映画でそういってた)なんかわかんないけど楽しそう。
私自身は、医者にも革命家にもなれそうにない。しかし、他者を愛し、農作業をし、他者の健康を補助し、商売をし、文化芸術学問を愛好することは可能であると思う。
先日、私を雇ってくれている先生(医者であり、経営者であり、盆栽・短歌を愛好する百姓)から「おい、ワレ(お前)、オラチ(自家)で栽培したシイタケよかったら持ってけや」と巨大なブツを沢山いただいた。
そういう人に私もなろうと思う。
今日はドライブをしてきた。午後一人で。
行ったのは上越の海。ちょっと水平線を見て気分を変えたかった私は、愛車のアルファロメオ・スパイダーを駆って出かけた。車中BGMにはオアシスの「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」をリフレインでながした。我ながら良い選曲だと思った。
八〇分でモモカワ海水浴場に到着。一人、砂浜にたたずみ快晴の空の下海を眺めた。いろんな事が許せた。
特に「なんでこんな簡単な統計処理にトチるのよ!いいかげん新しいソフトになれなさいよ!本当にバカなんだからアンタは!」と尊敬し、ちょっと好きな田中主任に怒られまくったふがいない昨日の自分を。
潮風にあたりながらひたすら海を見ていたら電話が来た。4歳になる甥っ子からだった。
「おじさん!今日ね!夜にね!すき焼きパーティーやるって!だから早く来て!」
私は電話を切るとすぐ帰路についた。
今日、弟が健康的な病にかかっていることを知った。
弟のタカヒロは中学一年生、卓球部に所属し、ゴジラとガメラとモスラに夢中だ。
そんな弟が「兄ちゃんなんか具合が悪い」と相談してきた。ここ二日くらいあまり眠れず、給食以外ではポッキーしか食べていないという。医者(小児科医)の私はすぐに弟を診察したが、まったく異常無し。
だが「はっ」とした私は、何げない調子で「お前さ、好きな人いる?」と弟に言った。弟は超顔を赤くし「最近、吉野先輩(マネージャー)がカワいく見えてしょうがない」と小さい声で言った。
私は弟に宣言した。その体調不良は恋の病であると。そして説明した「お前の脳内ではドーパミンとノルエピネフリンが激増しており、それが眠気食欲を無くさせているんだ」
私は弟にホット豆乳を飲ませ早めに床に就かせた。枕元に『初恋』を置いておいた。
今日は友人のK君の送別会をした。
K君とは中学時代からの友人。「集会」と称しては中学からの友人達とディズニーに参集し、K君ともどもトークに明け暮れてきた。
そのK君が会社の転勤で東京に行くことになった、2年から3年。実に寂しい。
そこで、長野駅前に皆集まり、居酒屋にてK君の送別会となったわけである。
宴の途中、私は余興としてこの間出演した演劇のセリフを言ってみた。
「みんな芝居ですよ(日常とか)。オレ達はさ劇場がないだけでさ、同じことですよ」
かなり迫真の再現VTRであったが、皆、「ふ〜ん」という感じであった。
東京へ行くK君、皆に一つ大きな発表をした。「オレ、今年の夏に彼女と結婚するよ」マジ「おめでとう!」皆、口々に祝福の言葉を彼に贈った。確実に時は流れ、いろいろな事が変わっていくのですね。
今日は友人の部屋に行き、ゲームをして遊んだ。
朝から雨が降り仕事が休みになったので近くの野の花というカフェでコーヒーを飲みながら安部公房の『砂の女』を読んでいた。すると友人の花井君もコーヒーを飲みに来た。花井君は、スリムマッチョのモデル兼、おもち屋の店員をしていて生計を立てており、今日は非番だという。
私を花井君は、前方後円墳と前方後方墳の違いについてひとしきり議論したところで彼が「自分の部屋(アパート)でゲームをやらないか?」と誘ってくれたので行ってみた。
彼が一人暮らしをしている部屋に入らせてもらうのは初めてであったが、入って驚いた。ロココ調なのだ。カーテン、ベッド、タンス、本棚すべてが18世紀フランス王宮風。
そして、彼が「やろう!」と言ってだしてきたゲームは百人一首。どこまでも貴族的な趣味であった。
今日、家に高校からの友人である秋山君とその彼女が遊びにきた。
なんと彼ら二人先日婚約したという。私は心から祝福の言葉を贈った。
私はしみじみと思った。
「ああ、あの高校時代部活の帰りに一本のマウテンドュー(缶ジュース)を回し飲みし、駄菓子屋でうまいボーを10本買って喜んでいたアッキー(秋山君)が結婚するのか〜」と。
そして私は彼に当然の質問をしてみた。
「何て言って(彼女に)求婚したの?」
彼は、大真面目にこういったと言う。
「もしここに、ヘッケラー&コッホ社製MP5(サブマシンガン)を持った完全武装の特殊部隊が突入してきても必ず君を守ってみせる!だから一生僕の横にいてください!!」
私は「何そのセリフ!?」と言って爆笑した。
(彼は防衛省情報部に勤めている)
彼が照れくさそうに頭をかく横で彼のフィアンセはニコニコして座っていたのだった。
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今日は兄のところにボーリングのボールを届けに行った。
午前11時頃、田で除草作業をしていたら二歳上の兄からケータイへ電話がきた。
「ワレ(お前)悪いんだけどお昼休みが終わる迄にオレのマイボールを持ってきてくれや」
北信弁まるだしで兄が言った。
今夜、兄は職場のボーリング大会に出場することになっていたのだが、マイボールを家に置き忘れたのだ。
私は、家にボールをとりに行き、八キロ先にある兄の職場(兄は理学療法士を育てる専門学校の事務をしている)へ出発した。
乗用トラクターで。初めてそうしてみた。
最高時速8キロで赤色のクボタ製トラクターは快調に走り、1時間後到着した。
建物から出てきた兄は、トラクターにまたがる私を見て、「超クール!」と言って喜んでくれた。
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今日、動物と触れ合った。
動物というのは犬でケンタ(オス、体長約一メートル、年齢不明、ゴールデンリトリバー)という名前。私の職場(老人介護施設)で飼われている。
この職場に勤めた当初、ケンタは私に吠えまくった。きっと知らない人で怖かったのだろう。今では近くによるとオモチャの柔らかいサッカーボールをくわえたまま何やら喜んでいるもよう。
そんなケンタであったが、今日私がそばで屋根の氷を長柄のT字棒で除去していると、いきなり後から私のふとももへ抱きついてきた。
「ちょっとビックリしたし、爪が少々痛いけど大きめの毛のフサフサした動物に前足でハグされるのもオツかも…って、ちょ!まっ!オイ!?腰を振るんじゃない!!」
ケンタ、同じ行動を本日三回してきた。
まったくもってワイルドなヤツであった。
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今日は、柳町通りにあるココスで日記を書いた。
ただ日記を書くのもなんなんでくもんの宿題をした。(私はもともと算数が苦手なのでそれを克服するためにくもん式算数を習っている)
あと、読書をした。二冊だ。一冊は『社会学の歴史』、ズバリアカデミックな内容だが、「フムフム」と読む。インテリゲンチャ(知識人)を目指して。
もう一冊は『銀河鉄道の夜』の一編、「銀河鉄道の夜」だ。まだ読み途中だが、宮沢賢治の風景描写が幻想的でイイ感じである。
私は、ただただ算数の勉強や読書をして長居するにはコーヒー一杯では弱いと思い、プレミアムドリンクバーとビーフハンバーグステーキセットを注文し、ゴクゴク飲み、もりもり食べた。
誠に持って優雅な午後の一時を過ごさせてもらった。いつもありがとうココス。
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一月二十日(金) 西澤尚紘
今日は、友人の木村君と一緒に飯綱高原へキャンプへ行った。
なぜ雪が一メートル以上積っている飯綱へスキー又はスノボーではなくキャンプなのかというと木村君が「そっち(キャンプ)の方がいい!」と言ったから。
木村君は中学時代知り合った友人で海洋大学を卒業後、航海士になり現在は貨物船で世界中をグルグル回っている。
彼は先日、スコットランドのグラスゴーから石炭を日本へ運んで来てそのまま二ヶ月間の休暇に入ったのだ。
彼と私は、ロゴス社製2人用テントの前で焚火を囲み、コーヒーを飲みながら映画「スタンドバイミー」の少年達ばりに熱いトークを楽しんだ。
面白かったのは夕食の時、ヨーロッパ帰りの彼がホイコーローを作りながら「中華料理は肉と野菜と火の芸術なのだ」と連呼しまくっていたことだ。
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長野市民日記-008 西澤尚宏
今日は、近所の西澤書店で日記を購入した。
博文館の十年連用日記だ。一冊で十年もかけるなんてなんておトクなんだろう。とりあえず自分の生態を記録していくつもり。几帳面な私は毎日必ず何かを日記に書いていくだろう。
さあ、これからの十年何が起きるだろうか?考えるとかなり楽しみだ!出来れば沢山おいしいモノを食べて、沢山本を読み、沢山映画を見て、沢山他者とおしゃべりをし、少々恋をしたいと思っている。
私はこう見えて前向きなんです!
ただちっとばかり不器用なので毎日をかなり慎重にすごしていかなければならないと思っている。でないとかなりの高確率でヤバい事態になるからね。いろいろな事に。
とりあえずこれだけは理解している何かに対して精神が不安定になった時は好きなモノをバクバク食べて、夜になったらさっさと寝る!これで次の日にはもう元気!うん完璧!
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長野市民日記 2011年12月30日(金)
今日は、愛犬のみつお(オス・三才)におしるこを作ってあげた。
なぜ犬の名前が、“みつお”かというと、三年前失恋し、家の中で号泣しながら相田みつお(詩人・書家)の詩集を読んでいる時に生まれたからだ。
昨日から徹夜でもちをつき、京都からとりよせた最高級のあずきを煮、沖縄産黒砂糖を大量に入れ、おしるこを完成させた。
いつもは料理とかしない私だったが、この日のために近所の料理教室(お正月料理特A級コース)に通い腕を磨いたのだ。
とうとうお昼になったので、もちを二個七輪で焼き、あんこの汁の中に入れ、おしるこ完成!赤いうるしぬりの椀でみつおに「たんとめしあがれ」といってだした。
だが、ぜんぜん、みつお食べようとせず!?
「え〜犬はおしることか食べられんの〜!?甘すぎるから?もちがダメなの?」
しかたないので私が全部食したのだった。
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長野市民日記 006 12月20日(火) 西澤尚紘
今日は近くのシネマコンプレックス(グランドシネマズ)へ映画を観に行った。一人で。作品は『ミッションインポッシブル4』トムクルーズ主演のスパイアクション。いつも通りトムクルーズはカッコよく、「ああ、私もトムのように上腕二頭筋を鍛えなきゃな」と、思った。
でも、長野で自転車のみに乗り、平和に暮らしている自分には、まあ、カーチェイスの技も、格闘技も、ピストルの扱い方も知らなくてべつにいいかな〜。
だけど、たまに「世界を股にかける腕力上等謎の男系」映画を観たくなるのは、きっと子供の頃から心の中にある漠然とした冒険心やあこがれ原因だ。
だから、映画の中にでてきたハンガリーのブタペスト、ロシアモスクワのクレムリン、インドのムンバイ、それらの風景を見ると無性にそこへ行ってみたくなる。
よし、とりあえずピラミッドは見ておこう。
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長野市民日記 005 12月12日(月) 西澤尚紘
今日いつものように会社が終わった後、千曲川グラウンドで相撲をした。営業部長の小山田さん(男性・三十五才)とだ。
小山田さんとは過去一〇〇五回勝負してきたが一度も勝てたことがない。地区の卓球倶楽部で鍛えあげられた彼の腕力はハンパではないのだ。
でも今日こそは勝てる気がした。なぜなら今日の戦略会議で私のイチ推し新商品滋養強壮ドリンク「俺流V3」が通ったからだ。
近くの高校の十五時三十分のチャイムを合図に取り組みを開始した。
小山田さんとはすぐに四つの体勢になった。私は電光石火で彼の上手を取り、渾身の上手投げをはなった!が、しかし片足一本でのこられるとそのまま切り返しを喰らい、そのまま土にコロガされた。一〇〇六敗目を喫した。
私は帰り道、彼のニヤリとした顔を思いだし「俺流V3」を一気に飲み干したのだった。
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長野市民日記 004 11月30日(水) 西澤尚紘
今日は、ペットのアルパカ、名前モット・ケヲ愛称〈モッ君〉(オス)を連れて近くの温泉へ日帰り入浴してきた。
昨夜、モッ君から毛を六キログラム拝借し新しい冬用背広を仕立てていると、彼が「何してくれんのさ?!さすがに高原(南米アンデス)生まれの僕でも寒いんだけど!あ〜もう肌がカサカサしてきた!も〜温泉にでも連れてってよ〜!」と目で言ってきたのだ。
そういう訳で今日行った温泉は松代温泉は三陽館。信州広しといえどアルパカと一緒に入浴できる温泉は、地獄谷温泉(サル等同浴可)をのぞいてあそこくらいだろう。その茶色のお湯がとても肌に良いという。
私もモッ君も喜んで湯につかった。「ぬる目だから五〇分は温泉を楽しめるわ〜」と私が思っていると五分も経たないうちにモッ君が「そろそろあがろっか!?もう暖まったよ!だって僕には毛があるから!」と目で言ってきた。私達は七分で入浴を終了した。
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長野市民日記 003 11月8日(火) 西澤尚紘
今日、アメリカはアリゾナ州の片側通行の道をスバル製軽トラックで走っていた。道の両側は見渡すかぎりの砂漠で、サボテンと岩ばかりだった。
すると後ろからブォーっと真紅のランボルギーニが寄ってきて私の運転する車を追い抜いていった。片側通行なのに!!
私はカチンときた。「俺の前を何人たりとも走らせはしね〜!!と、いうかこの日本製及びスバル製軽トラの性能をナメるんじゃないよ!!」と思った。
私はギアを三速から五速に切り換えランボルギーニを左側から(アメリカなので)抜き返しにかかった。瞬時にして軽く(時速120km)はでた。「ふ、さすがはスバルのエンジン、その昔ゼロ戦を作っていただけのことはある…」と我ながら感心した。
が、次の瞬間ヤツは推定(時速380km)をだしはるか彼方にいってしまった。
私はくやしくてしょうがなかった。
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長野市民日記 002 10月20日(木) 西澤尚紘
今日、城山公園のベンチに座って日光浴をしていたら外国人の男性(推定40才代後半、白人、つぶらな緑色の瞳に黒ぶちメガネ、大きく高い鼻、スキンヘッド、シルバーブラックの縦縞のスーツ、黒い革靴姿)に声をかけられた。
男性は一言「メメント・モリ!」と大きく溌剌とした声で言い放ちVサインをキメながら歩き去って行った。
私もVサインを返しつつ笑顔で彼の背中を見送っていたものの心は「メメント・モリってどういう意味!?何語!?」という思いで一杯だった。
私はダッシュで市立図書館へ行き言葉の意味を『外来語大辞典』で調べてみた。
辞典にはこうあった。
「【メメント・モリ】ラテン語で「死を想え」「死を忘れるな」の意」
私は「そんなことラテン語で言われても…でも、ありがとね」と思った。
長野市立町在住の西沢尚紘さんより、「長野市民日記001」なる文章が投書されましたので、突然ではありますが紹介いたします。
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長野市民日記 001 10月15日(土) 西澤尚紘
今日は祝い師という仕事をしている山田万太郎さん(50才・男性)と出会った。
私は山田さんに祝い師の仕事内容をたずねてみた。
彼の仕事は主に日本中の伝統的な祭りへ参加し、その祭りの重要な場面において性的であり聖的でもある言葉を大声で叫ぶというものだった。
例えばどんな言葉かとたずねると先日石川県能登半島にある漁村の秋祭りに参加した時
はこう叫んだそうだ。
「海神様(正式名称オオウミノハララギヒコ)あなたのその御手で私のワキをどうか触ってください!そして、その手つきでどうか皆の衆を救ってやってください!」
私はその言葉をきいて、「いったいどんな手つきで神様にワキを触られるというのですか?」と興奮ぎみに山田さんにたずねた。
そしたら彼は「あ〜そこは僕の専門外だからわかんないな〜」と言った。笑顔で。
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