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「城」その2 〜大坂〜

更新日:2010年05月03日|書いた人:堀井まーし堀井まーし

 拝啓 大坂城下町の人々へ

 私は、二度焼え、三度建ちました。現在のボディーは屈強につき、

およそ焼え落ちることはありませんが、その分、私の散り際は、

壮絶なものになりそうで不安です。私よりも背の高いクレーン

が巨大な鋼鉄の玉をブラさげて登場。フーコーの振り子のエナ

ジーで私は打ち砕かれる・・・・・・あぁ痛い・・・・・・・



 ところで、近年の私の役目は、主に子守りと観光客のお相手です。

年間、何十万という人々が私に入場し三々五々帰っていきます。

戦場に身を置き、無数の矢や鉄砲玉をあび、姫や殿のお世話を

していたあの頃とはえらい変わり様です。猿殿の時代は、彼の豪奢な

趣味につきあって、金だのなんだの張りつけられ、肩がこりました。

太公殿の時代は、はりぼて扱いで、少々情けない思いをしていまし

た。現在も、「コンクリートで嘘臭い」とか「なんで城にエレベーター?」

などと悪口を言われることもありますが。実は結構、気に入っているのです。



 1931年、大坂城下町民によって私は三度(みたび)建てられました。

その時代を鑑みますと、「武」のモニュメントとして私は建てられた

のでしょう。またもや、戦火に巻き込まれましたが、私達は

傷付きながらも、無事に生きのびました。それから何十年、貴方

達の復興の様子を眺めております。相変わらず、いい加減で、

たくましい貴方達のことを愛しく思っています。

貴方のくれた、この色々といいとこどりをした妙なボディも愛しく

思っています。



 石垣の上から見下ろす城下は随分変わりました。私なんかはもう

小さい部類に入るでしょう。実際、私の視界はせばまり、世の中のこと

も見えにくくなりつつあるのですが、ここにいてもいいですか?



 これからも、貴方大坂城下町民と平和に暮らしていけることを

私は切に願っております。



              三代目復興天守大坂城

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