「城」その2 〜大坂〜
拝啓 大坂城下町の人々へ
私は、二度焼え、三度建ちました。現在のボディーは屈強につき、
およそ焼え落ちることはありませんが、その分、私の散り際は、
壮絶なものになりそうで不安です。私よりも背の高いクレーン
が巨大な鋼鉄の玉をブラさげて登場。フーコーの振り子のエナ
ジーで私は打ち砕かれる・・・・・・あぁ痛い・・・・・・・
ところで、近年の私の役目は、主に子守りと観光客のお相手です。
年間、何十万という人々が私に入場し三々五々帰っていきます。
戦場に身を置き、無数の矢や鉄砲玉をあび、姫や殿のお世話を
していたあの頃とはえらい変わり様です。猿殿の時代は、彼の豪奢な
趣味につきあって、金だのなんだの張りつけられ、肩がこりました。
太公殿の時代は、はりぼて扱いで、少々情けない思いをしていまし
た。現在も、「コンクリートで嘘臭い」とか「なんで城にエレベーター?」
などと悪口を言われることもありますが。実は結構、気に入っているのです。
1931年、大坂城下町民によって私は三度(みたび)建てられました。
その時代を鑑みますと、「武」のモニュメントとして私は建てられた
のでしょう。またもや、戦火に巻き込まれましたが、私達は
傷付きながらも、無事に生きのびました。それから何十年、貴方
達の復興の様子を眺めております。相変わらず、いい加減で、
たくましい貴方達のことを愛しく思っています。
貴方のくれた、この色々といいとこどりをした妙なボディも愛しく
思っています。
石垣の上から見下ろす城下は随分変わりました。私なんかはもう
小さい部類に入るでしょう。実際、私の視界はせばまり、世の中のこと
も見えにくくなりつつあるのですが、ここにいてもいいですか?
これからも、貴方大坂城下町民と平和に暮らしていけることを
私は切に願っております。
三代目復興天守大坂城