2016/11/9(水) 多様性?
一昨日読んだ『教団X』、昨日の「演劇を語る会」、
多分たまたま、“多様性を認める” ということが重要なテーマの一つとして扱われていた。
個人の、考え、価値観、身体性、性質、を単一のものとして統合しようとする
(異質なものを排除しようとする)社会は面白くない、しかも弱い、というのはわかる。
じゃあ多様性を“認める”行為って何?
多様性=幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。
認める=正しいとして、また、かまわないとして受け入れる。
(ってネットの辞書に書いてあるけど、認めると受け入れるって何か違う。)
“私たちは多様性を認める”ことができるって説得されたい。
そうだねって思いたい。
“多様性を認める”って
多様な他者を受け入れる(多少の自己犠牲をいとわない)のでなく
他者とは多様であることを理解して、それを、
ざっくり言うと面白がるってことなのかなあ、と思った。
どう面白がっているのか、をきちんと提示できるってことが
“多様性を認めている”ことの証明で価値。
結局、理屈でも気分でも、多様性を認めること自体が何かの手段にすぎなかったとしても
認めるってことは、その先に続いていく前向きな行為なはずだ!
とか思った2日間だったのでした。
そういえば、ポッドキャストで配信されている
東京ポッド許可局の「うれしい論」の回がしみじみしてて良い。
「うれしい」感情は「怒り」などの感情に比べて
何かのモチベーションになっているのか?
っていう話から始まる、超!(本当に!)ささやかな「うれしい話」。
*いとうせいこうとみうらじゅんの雑談(ポッドキャスト)もオススメデス!
natsumi