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ネオンホールプロデュース演劇公演vol.3「ヤルタ会談」
アフタートーク( 2015/1/18 夜)の内容をご紹介しますー。
全約30分。長いので2つに分けました。その1からお読みください。
(このページはその2です。)
・その1 ・その2
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増澤 今回2本つくったということでAチーム、Bチームそれぞれの、ま、一つは赤ちゃんだったですよね、その演出の意図を話せる範囲であればお聞きしたいなと。
(Aチーム稽古写真)
(Bチーム稽古写真)
仲田 Bチームの方は、私としては過激というか皮肉ってるつもりなんですけど、もう「お前ら赤ちゃんだよ!」位の感じでやりましたね。でも、よくとればその頃は赤ちゃんだったけどそれが成長していくこともありえるのかもね、みたいな、ちょっと希望みたいなものが感じられてもいいのかもという感じでつくりました。Aについては、違和感みたいなのを出したかったので、旧日本兵みたいなことでやろうと思ったけど、それはあまりにも自分には難しそうだったので、今戦争になりそうとか色々いわれていますけど、もしかしたら現実的に徴兵みたいなことはありえるなと、思ったりして。過去の人たちがヤルタ会談をしている、じゃなくて、鈴木君に赤紙が来ちゃって、壮行会で発表するお芝居の練習をしているみたいな感じでつくろうと思って。だからちょっと近未来のつもりでやってみました。
増澤 いまちょっと出ましたけど、戦争とか、まあ、戦争だけじゃないと思うんですけど、戦争みたいなことって、こうしたらなくせるんじゃないかってことって何か思いつきますか? 月原くん。
月原 わ、こっちきた。あーーーーそうね、とりあえず、文明をあきらめればいいんじゃないですか?便利さをあきらめれば、あのー、物々交換ですよ。利益とか便利さを追い求めずにあきらめれば、戦争なくなるんじゃないかって、若造はおもいましたよ。
増澤 月原くんって、便利そうなもの持ってるじゃないですか?
月原 iPadですね
増澤 あー、そういうのを明日からやめない?みたいなことですか?どうですか?やめられますか?
月原 …………。そうですね、そういうとこですよね。そだからそこをぼくはやめれないんですけど、
増澤 みんなはやめろと!!
月原 笑。独裁者でちゅからね(スターリン役)、いやいや、あのー、そういうとこをうまーくできれば…。理想論です。以上です。
増澤 仲田さんは何かありますか?
仲田 みんな木曽に住めばいい!寒いとこで苦労して暮らしたらいい加減わかる気がする。
増澤 ああ、なんか自然の
仲田 そう、厳しさとかにもまれちゃってた方が、いいんじゃないかなって思います。
月原 たまみさんは…どうおもいますか
増澤 私? まあ、人間である以上しょうがないのかなみたいな。
仲田 ん?!
月原 え?!
増澤 だから争いみたいなこと自体がなくするのは、人間っていう種族的にもう難しいのかなと思っていて、あの、だから完全にはなくなんないんだろうなー、やだけど。っていう所でそれでも、あ、でも、結構、劇っていうのはいいのかなってのもあって、直接的に「戦争反対」っていうとか、実際『ヤルタ会談』を批判としてやるとかじゃなくっても、集団で創作するので、チームの中に気に入らない奴とか、いやなタイミングとか、色んなことが起こるときに、それをどうにかしてなんとか乗り切る、とりあえず公演までは、とか、なんかそんなようなことが割と人生みたいなことに等しいのかなって、嫌いな奴だけど殺さなくてもいいだろうっていうか、あ、やっつん(月原くん)の事じゃなくてね。
月原 う、うん、いまこっちみられたなーって思った。笑
増澤 そ、ま、なんとか粘って、どっか折り合える場所もあるだろうし、どっか何か共通点もあるだろうみたいな所でやってく体験だと思うんです。締め切りがあるのでその、公演っていう、そこまでならやれる、みたいな、その、「そこまでならやれる」っていうことを死ぬまで続けてればいいのかなー、みたいな事は思いますね。
…じゃあ、あとは、"今後の活動予定”っていうのが(カンペに)書いてあるんですけど…
月原 ぼくは2月のもんぜんまち劇場でtheeの公演に出演します。ぼくと、ムラタさんと、鈴木君と。
増澤 じゃあ、もし今日、月原くんたちになんらかの愛着がわいた人いたら観に行ってみてください。笑。
月原 ちょっと、毒があるような…
増澤 笑。そうかな。仲田さんはどうですか?
仲田 私は、2月中に脚本一個書かなきゃいけないやつがあって、それをなんとかしなきゃいけないなというかんじ
増澤 その脚本はどこで?
仲田 静岡のたぶん藤枝市という所なんですけど、家康の400年祭とかで静岡県が盛り上がってて、そこで脚本と演出をやらせてもらいます。
増澤 それは市民劇みたいなことですか?
仲田 うーん、公共演劇っていうんですかね、市から依頼されて地域を演劇を使ってアピールするっていう企画で、市民の方はエキストラでちょっとあるかもしれないですけど、でも、つくって持って行く系です。
あと、ジャパンフェスっていうのがベルリンであるんですけど、合気道とか生け花、おにぎり、大きな建物で、もう何でもあるんですよ、和太鼓とかお寿司とかお茶、指圧とか、そのなかで今一緒にやらせてもらってる女優さんが、歌舞
伎プレイをやるんです。その演出を手がけています。
増澤 私に関しては、もんぜんまち劇場をプロデュースしていますけど、ネオンはこのプロデュースシリーズをしばらくは年に2回やって行こうと思っていまして、次は7月にネオンホールの大沢夏海ちゃんが演出でやりたいなと考えています。それから、柴幸男君の演出で、オーディション、公募してやるってことが今決まっています。
じゃあ、会場から質問ありますか?
お客さん さっきの演出のはなしで、「重心が高い」っていうのは肉体的な意味なのか、精神的な意味なのか、どっちなんですか?
仲田 えっと、身体に対する意識みたいなものですかね。どういったらいいんだろう。前の月原くんの芝居みたいな感じ。笑。上にどんどん出て行くみたいな感じですかね。
お客さん 対面している人がいるのに上に行っちゃうってことですか?
仲田 あーそうですね。月原くん、どうですか?
月原 なんか聞くときとか、はなししているときに顕著なんですけど、普通に話しているとこういう状態なんですけど、でもお芝居してるときにぼくよくこうやって(上目遣い)聞くんですよ。背が高いっていうのもあるんですけど。セリフを言うときに「オーバースローで投げてるから、アンダースローで投げて」っていわれたときに一番しっくり来ました。感覚的に。
お客さん 受け取りやすいってこと?
仲田 受け取りやすいとか受け取りにくいとかは、あまり関係なくて、どう、そこにいるかみたいな。存在がうわずっている?
増澤 ふわふわしているというか。劇のために劇をやる、みたいな。かんじなのかな。
お客さん なんとなくわかりました。ありがとうございます。
増澤 他にありますか?
お客さん2 この作品をどこかに持って行ったりしないんですか?
増澤 あぁ。
仲田 あーそうだ、私終わったら営業します。
増澤 実は今回、作品をよそに持って行きたいというのがあったんです。そういうチャレンジの意識でやりたいなっていう気持ちもあって、まあABつくった中でどっちかだけでも。できがいい方だけでも持って行ければ、それで巡業やれればいいなということで、候補としては仲田さんの静岡っていうのと、松本でできればいいかなっていうのは考えています。
はい、じゃあ、この辺で終わらせていただきたいと思います。
長い時間ありがとうございました。
月原、仲田 ありがとうございました。
(玄関から舞台まで、美術は、なかやま☆はるかさん)
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ネオンホールプロデュース演劇公演vol.3「ヤルタ会談」
アフタートーク( 2015/1/18 夜)の内容をご紹介しますー。
全約30分。長いので2つに分けました。その1からお読みください。
・その1 ・その2
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増澤 今日はご来場いただいてありがとうございます。演出の仲田恭子さんと、Bチームの俳優月原くんと、総合プロデュースの増沢珠美でアフタートークをはじめさせていただきます。
去年からこの、ネオンホールプロデュース公演企画をはじめたのですが、それまでプロデュース公演は「記念公演」という形で、ネオンホール10周年、15周年、20周年とやってきていました。それを毎年かつ、年に2回くらいのペースで、若手で元気のある演出家を招いて滞在創作をしたいなってことで、今回で3回目になります。
仲田さんに演出を依頼した経緯は、最近、木曽に越してこられたということで、ちょくちょくお会いする機会があって、で、作品を見たときに、知り合いのことばを借りますが「攻めてるな」って思ったんですね。それで、ネオンがこれから演劇を一生懸命やっていこうって時にぴったりな演出家さんかな、ということで仲田さんにお願
いしました。
仲田さんはどうして受けたんですか?
仲田 1年前の『もんぜんまち劇場』に参加をさせていただいたときに「長野でやってくださーい」っていう軽い流れがあって「じゃあ、ぜひ」というかんじで。増澤さんが、さくさくすっきりしていて、なんか面白いなと思って、まあぜひやってみたいなと。笑。あと、長野に面白い方がいっぱいいたので、いいなと思って。はい。
増澤 今回の企画の意図として、AチームBチーム2つ両方観てもらって"演出"っていうのが一体どういうことなのかっていうのを味わってもらいたいなっていうことで、両方、無理矢理、観てもらう形のチケットにしました。
会場 笑
増澤 演者でももちろん違うけれども、やっぱり演出でお芝居がいかに変わるかっていうことを観ていただければ、これから先いろんな意味でこの界隈の演劇にしろ、表現にしろ、豊かになっていくのかなというようなことでこういう形をとったんですが、Bチームのキャスティングは実はネオンホールの側で決めてます。私が出演した事に関しては、みんなに「お姫様やりたかったんでしょ」っていわれたんですけど、まあ、もちろんピンクのドレスは着たかったけど!
(稽古写真)
会場 笑
増澤 ドレスっていうのは先に決まってたことじゃないんです。仲田さんの演出を一番身近でダイレクトに味わいたいなと思って、出演したということなんです。まあ、そういうなかで、中沢清さんはいつもカフェシアターを率いてる座長で演出家だったりするけれど、ここはもう“役者”で、どかっと入ってもらおうと。…それで、あと一人どうする?というときに、『ヤルタ会談』っていう史実に対して、中沢さんは非常にリアルだと思ったんです。史実に対して身体の接触があるなと。私なんかは感覚としても皆目なくて、で、さらにもっとない若い世代とのセッションっていうのが、ある意味この問題をダイレクトにあらわせるんじゃないかと思いまして。“若い人”で誰だってなったときに、月原くん、が、いいだろうと。あの…
月原 めんどくさい奴として…
(稽古写真)
増澤 そうですね。笑。そう、“エネルギーが高い人”として月原くんが選ばれたんです。笑。今回やってみてどうでしたか?
月原 あ、そこで来ます!?えっと今回やってみて…ぼくは2つ返事でオッケーしたんですけど、やってみたらものすごい大変でした。すんごいおこられたんですよ。仲田さんに。「そうじゃない!そうじゃない!」って。千本ノックみたいな感じ。
増澤 何を中心におこられたんですか?
月原 …なんか、具体的になっちゃいますけど、えっと、お芝居の、ぼくの芯が高いと。重心というか、芯が高いとこにあるからもっと落としなさいよということを言われたんですけど、ぼくそれがどうも良くわからなくて、ふはは。やってても全然わかんなかったのをひたすらおこられて、えっと、なんとか間に合いましたか?
仲田 はい。笑
増澤 その辺はどうだったんですかね?ぱっと観た感じと、経緯と、結果でいうと。
仲田 そうですね。中沢さんも珠美さんもすごく説得力があるというか、ベテランなので、それに対して対等な感じに見えないと作品的に成り立たないので、ちょっと頑張ってもらうしかないなという感じで。
(稽古写真)
増澤 具体的にはどんな稽古をしました?
仲田 最初は、鈴木メソッドとかちょっとやってみてもいいんじゃない?とおもって重心を安定させるっていうのをやってみたりもしたんですけど、あんまり効果がないなと思い始めて、で、演出プランも変わってきたのもあって、細かい指示を一個一個していって、なんとなく「まだ全部“点”だけどうまい具合に全部をつないだら良くなるかな」と思ったけど、うーん…という感じになって…。で、もう間に合わないって1週間くらい前ですかね、時間を取って行動線とか全部で8ページくらい書いてそれを最初から整理をしなおして、上からじゃなくて下から投げるみたいな事をスポーツに置き換えて説明したらすっと入ったみたいで、それからは(芯も)上がらなくなりましたね。
増澤 ブロックとかを置いたり持ち上げたりもしてましたけど、アレもそういうような所からのアプローチですか?
仲田 それもあるし、スターリンのキャラクターづくりもあります。
(稽古写真)
増澤 なるほど。まあ、Bチームはそんなかんじだったんですけど、Aチームに関しては仲田さんに(キャストを)セレクトしてもらったんです。押しつけじゃなくて仲田さんのやりたい人とやってもらいたいと思ってAチームのキャスティングをお任せしました。下垣さん、ムラタさん、鈴木大地君っていうキャストになってますが、この辺の視点というか、理由はありますか?
仲田 あー、実は私、ダブルキャストっていうのを忘れてて、「仲田さんキャスト決まりました?」っていわれて、「いけない!」とおもって慌てて「そう言えば前、下垣さん私のやつに出たいって言ってくれてたな」とかって思って、で、ムラタさんは初めて見たときから大好きな女優さんで、ぜひと思って、あと鈴木君はそう言えばキソだったなって
増澤 キソ?
仲田 あ、木曽? 私が住んでるとこの近くの出身で、じゃあ、みたいな。笑。
増澤 あー、なるほど。Aチームの課題はあったんですか?
仲田 Aチームは、私の意図として、日本人として「やだなー」と思う内容を、日本人が芝居でやらされていることの違和感を、なるべく活かす形でやってみたいなという気持ちがありました。なので、キャストの課題というよりも、自分のやりたいことが成立しきれないんじゃないかという気持ちがあったりもしていますね。はい。俳優でいうと鈴木君が始めて3年くらいで、まだ弱いというか、月原君もなんですけど、受ける芝居をすごいするんですよね、それでずっと通しちゃうみたいな感じがすっごく気に入らなくて 笑。
増澤 気に入らなくて 笑
仲田 そう、そこは変えようと思って頑張りました。
→その2につづく
2015年のネオンホール最初の大イベント、「ヤルタ会談」が終了しました。
観に来てくださったみなさま、どうもありがとうございました!
プロデュース演劇公演は、去年から始まり、3回目。
今回は演出家・仲田恭子さん、6人のキャストと共に、11月くらいから稽古を始め、2チームのヤルタ会談を創りました。
ダブルキャストでの2種類の演出のヤルタ会談を続けて観てもらうという、初めての試みでもありました。青年団のオリジナルのヤルタ会談とも違うし、2チームでもけっこう違っていて、「演出」によって作品がどう変わりうるかがわかりやすかったように思います。
短い台本ではあるんですが、3人だけしか出演しないので自ずと一人一人の台詞量やウエイトが高くて、コンパクトだけどシビアでした。
また今回は演劇実験室カフェシアターの座長・中沢清さんに役者として出演してもらったこともあまりない経験で、毎回の稽古がとても刺激的でした。役者としての中沢さんはとっても貪欲で、チャーミングで、何より楽しそうで、稽古に向かうエネルギーももの凄く高く、作品にとても熱を注いでもらったように感じています。
昨年の「マッチ売りの少女たち」、「ハムレット?」でも感じた事ですが、プロの演出家の方と一緒に作品を創る現場はとても面白いです。作品が日に日に変化して、面白くなっていく、深みを増してく、出来上がっていく様子を目の当たりにできるのは、(気を抜くと客観性を失ってしまったりする可能性もあるんですが、)貴重な時間だと感じています。
プロデュース公演で始まった2015年のネオンホール、今年はさらに2本のプロデュース公演を予定しています。お楽しみに!
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(Bチーム)スターリン役・ 中沢清さん
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若:若林
中:中沢清
ナ:ナツミ
若 よろしくお願いします。中沢さんは、普段どういう仕事をされているんですか?
中 和光照明っていう、アンティークと照明のお店の経営者、有限会社和光照明の2代目社長っていう肩書きになるかな。
若 あ、二代目なんですね。
中 そう。実家が照明専門の電機屋なんですよ。今の和光照明はアンティークの割合の方が多い位だけどね。あと、昔住んでたとこのね、ビルのね、経営も共同でやったりしています。和光照明も昔そのビルの中にあって、ネオンホールと同じくらいの広いスペースでやってたんですよ。で、電機屋の若旦那というか坊ちゃんとして、店とそこの商店街のこと20年くらい、もう、一生懸命やったよね。演劇とか大道芸とか呼んだりもね、自分たちでやったりしてたんだよね。あれね珠ちゃんとか今権堂のこと一生懸命やってるけど、私らはもうね20年やってね、それでもうある程度行き着く所まで行ったんですよ。で、いくとこまでいったので東口に10坪くらいの自分の店を作って。あのねぇ、商店街ないとこにね。
若・ナ 笑
中 もう楽しくてね。裏の駐車場でカフェシアターの道具を作ったりね。自由だったねー。最高でしたよ。だから、それから非常にラジカルに演劇活動をやってるね。50歳くらいだったからね、人生何できるかなって時に、まあ演劇はやっていこうと。
若 今おいくつなんですか?
中 今66。66っても色々ですよね、なんかの社長になってる人もいるわけだけどさ、でもその人がくねくね演劇できるかっていったらそうとも限らないもんねえ。そうだなぁ、今は社会とのつながりは、演劇を通してっていうのが強いね。えぇ、強いね。
若 ちなみにいつから演劇を始めたんですか?
中 はじめたのは18。東京の電気の専門学校に行った時からですよ。
ナ 最初からアングラ志向だったんですか?
若 最初はまじめな会話劇でしたよ。でもだんだんね。そのころ学生運動とアングラがリンクしてたから、アングラを求めて大学に進学して、で、天井桟敷にとびこんで。1970年代の最初の頃ですよ。で、75年の終わりくらいまで活動してたんですよ。
ナ なんで演劇を?
若 高校のときなんも部活に入っていなかったんだけど、たまたま演劇部の幕引き係をやったんですよ、幕のとこに隠れてね、そのときね、ふっと「なんで同じ高校生がこんなにはつらつとしてるんだろう」って。
ナ 憧れ?
中 そう。憧れだね。あと、変身するのは好きだったかもしれないね。ちっちゃいとき我々の頃は月光仮面ってのがあってさ、眼鏡つくって股引はいて、もっこりしたベルトつけて、シーツでマントつくって。でさ、裏口からさ、やおら、のそ のそと出てきてふっと我に返るととそのかっこうしてるわけ。おかしくなっちゃってじぶんで笑っちゃりしてね。
若 笑
中 で、小学校で学芸会ってのがあってね、でも私は、奥手っていうか控えめだから、今もね(?!) でも、学年が上がるごとにすこしずつ台詞が増えてったりしてね。で、演技するのは面白いなっていうのは感じたんだねー。
若 ほー
中 あとはね、こどもの頃といえばね、自転車こいで市民会館までいってね、町の子供は演劇とか歌謡ショーとか潜り込んでみてましたね。楽しかったなー。照明は奇麗だしね。将来、演劇やるとは思ってなかったんだけど、なんかきっと憧れてたんだなー。
若 なるほど。で高校卒業して…
中 そう、ね、うちの柿の木見ててもしょうがないじゃんって感じで、何でもいいから東京いこうって東京行って、たまたま出会っちゃって(演劇に)、で、だんだんエスカレートしていって、勉強どころじゃなくなって…。
ナ 天井桟敷って誰でも入れるんですか?
中 誰でも入れるよね。面接はあるよ。面接。真っ暗の中でスポットライトをガンッて当てられて、小さな部屋に閉じ込められて、そこに試験官がいるんだけどの顔が見えないの。
ナ 拷問じゃないですか!笑
中 で、わたしなんか寺山さんのこと研究してるからさ、アンティークの鞄にどっちゃり入れてさ、わざとこぼすの、寺山さんの本を。
若 !!
中 そう、なんか課題いわれんだよ、「鼻くその効用を述べよ」、とか「物理的な演劇の空間の変革についてどうおもいますか」とか、で結局うかるんだよね。で、事務所に行くと15歳くらいの女の子とかいろんな人いてさ、そんなかんやで、はじまったんですよねー。で、まあ合宿とかやってたら、いきなり寺山さんから原稿用紙1枚くらいの台詞貰ちゃって、大阪と、東京のTBSホールの、その、ラストシーンで「無人島でなんとか…」ってしゃべるんだけど、もうもうと煙の立ちこめる中、客席から立ち上がって台詞を言うのね、で、アドリブを言っちゃったんだよね。「天井桟敷なんてまだ幻想だ!!」とかいって。
ナ おおお!
中 そこまでは良かったんですよ。でもスモークのオイルで床がツルッツルで、滑っちゃって、今も傷あるかな、額を何針か縫うはめになっちゃって、すぐ六本木の外科につれてかれて縫ったんだけどね。医者に「この人職業は?」って聴かれた時、舞台監督の稲葉さんが「俳優です」っていったんだよね。「入ったばかりの学生です」って言われたらそれまでなんだけど。そのときだよね。「そういう世界か」と。「これはなんだ?」と。存在を認められるっていう。そこだね。
若 それが今も続けている元なんですか?
中 まあそうですね。ようするに、名付けるって事なんですね、「あんた役者だよ」って。プロなの?って時に、それで収入得てるかどうかではなくて、やっぱり自覚だと思うんだよね、俳優っていう自覚。それしかないじゃない。日本の演劇なんて、90%はいわゆるアマチュアが支えてるんだから。じゃなかったら日本の演劇文化なんて無いに等しいから。名付けることできまるというかさ。自覚だよね。まあ、外側から観ると幻想なんだけど、やってる側はね。
若 ムラタさんも、中沢さんに名付けてもらったことを話してくれました。嬉しそうに。
中 そうですかー。そうそう、演劇って、基本的には“遊び”なんですよ。PLAYね。遊びって真剣にやるとそれはもの凄いでしょ。まあ中には「遊び」っていうと誤解する人もいるんだけどね。でもね、人間は遊ぶ生き物だって。稲つくったりするのも大事なんだけど、絵を描いたり彫刻つくったりすることも大事なわけなんですよ。
若 なるほど。
中 私にも転機があってね1993年、その前までパフォーマンス的な演劇やってて、それはもうみんなまきこんで大きい会場でね。脱・寺山修司をやってたの。でも、どうも違うな、と感じて、アングラに戻ったの。それが1993年、それはもうエポックメーキング的なね、ネオンホールに二日間で300人入れたね邪宗門。役者が動く所は4畳半くらいしかなくて、もうすべてが納豆みたいになってですね、交番からおまわりさんもよばれちゃってね。清水君がネオンホール始めて1年くらいのときですよ。だからネオンとともに再生したんですよ私は。本当だよ。この館(やかた)とともに再生したんですよ。ネオン20周年でも「邪宗門」してもらってさ。
若 僕もその20周年の「邪宗門」観に行ったんですよ。当時のバンドメンバーが出ていて。上手くいえないんですけど、なんかうねりが凄いと思って、2回観に行きました。
中 そうですかー。あのね、演劇ってどんな場所でもできるっていうけどね、場所って以外と重要なんですよ。昔、行きつけの地下の喫茶店で27分の芝居をしたんですよ。そのときその事が夕刊に5段抜きで、ぼん、と出たんだよ。『アングラ演劇、ついに長野に登場』って。催眠術があって、ジャズが流れて、包帯人間あらわれて。そのとき、(劇団の)名前は「集団カフェシアター」にしましょうか。っていわれて「どうぞ」て。それからそう言う名前でいろんな喫茶店で、でっかいアドバルーン膨らましたり、観客縛ったりしてさ、やってたんですよ。
ナ 中沢さんのオリジナル作品をやってたんですか?
中 そう。天井桟敷のコラージュでね。ヒントいっぱいあるから。私は(天井桟敷に)そう何年もいないんだけど密度が凄かったから、自分でいうのもなんなんだけど活躍したからさ、人一倍ぐっちゃぐっちゃになるまでのめり込んで。そのエキスのね、秘伝の壷の隠し味をちょっとづつ使って、長々と、やってます。最近切れかかってるんだけど。笑。
ナ 他の人の演出でやるのは?
中 10年に一度くらいかな。ありますよ。そう言えばペーターゲスナーのに出たとき最後にペーターに「中沢さんは長野の演劇のおとうさんです」っていわれてね、まあ年齢的にもそうだし、まあそうかそうかって、ね。納得したりね。
若 今回、出演依頼がきたときどうでしたか?
中 イヤー今回はね、セリフがねー(多くてね)。誘ってくれた哲郎くんにも、平田オリザはどうだとか、散々文句いってね。笑。まあこの初老のおじいさんにお誘いがくるのは光栄なことですよ。だから二つ返事で受ければいいんだけどね。でもやっぱり演劇は専門性が高いと思っていて、まあ、そんなに甘いもんじゃないよって、他流試合はやっちゃいけないよっておもったりすんだよ。いままでもね、そこまで(人の演出で舞台に立つことが)楽しみきれなかったんだけどね。 …今回は、ふふ、けっこう、楽しいんですよ。
ナ それはアングラだからですか?
中 それもある、演出の仲田さんがアングラチックだしね。平田オリザが云々というのもやっぱりどう演出するのかはある程度自由なんだよね。そういう現場を今まであんまり知らなかったんだね。
ナ 仲田さんもおもしろがってくれてますよね。
中 仲田さんっていう演出家がねユニークでね、それにのって演技やらしていただいてんでございますがっ。私ね、実は、やり過ぎな演技大好きなんだよ。笑。そういうの上手に仲田さんに拾ってもらって。でもやっぱりやりすぎるとセリフがとんだりね…。精密機械なんですよね、演劇ってね。真摯に取り組めばね。みんな一つ一つ部品が面白くてさ。形つくってくんだよね。
若 最後に、僕に何か激励のことばをいただけますでしょうか。
中 何だろうねー。芝居やってあー面白いっ!みたいの感じる?
若 稽古期間中、一回はきついなぁって落ちちゃうんですけど、最終的にやって良かったなって思いますね。
中 そのね、やって良かったっていうのの積み重ねということなんですよ。演劇って、実は、楽しいことなんですよ。
若 ほー
ナ その楽しさの一番のことって何ですか?
中 なんだろうなー。演技とすると、変身、演じきるとか? あとそれこそ、あれですよ邪宗門みたいなスペクタクルの一部、その幻想の世界の一部になって、それを体験できる、その雄大なニセモノの世界をね。もう一つの幻想の世界の住人になって、実人生の中で歴史にはのらないんだけど、体験しているんですよ。作り出して、そしてぱっと消える。でも立ち会った100人は世界を体験するんですよ。
祝祭的で、宇宙的な体験をね。芸術作品をつくってご褒美もらうっていうよりはそっちですね。私の場合。
若 邪宗門は観客としてみていてはそんなかんじでした。わーっていうか、それ以上うまく言葉にできない。
中 そうそう、魔術師だよね。魔術。俳優は魔術師なんですよ。
ナ 操られる人じゃないんですね。
中 そう、持ち込む人なんです。でも生け贄でもある。だなら、なんだ。まあ、演劇ってながくできるからさ。色んな作品好奇心もって観るってことだよね。で、やりたくなったらやる、チャレンジしてみればいいよ、演出でも役者でも。意外に才能あるじゃんって思ったりするよね。
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インタビュー 若林優也
編集 若林優也、ナツミ
いよいよ、稽古最終日。
日中、細々とした作業、準備しつつ、
よるは、ゲネプロ(お客さんがいない状態での本番)、最後の通しをしました。
改めて今日観て、じんとくる瞬間が、いくつもありました。
しかし、、個人的には、かなり反省が多い感じになってしまいました、、
しっかり準備して初日を迎えたいと思います!
ヤルタ会談、皆さん、ぜひ観に来てください!
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