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長野市民日記118 2015年1月30日(金)
変態について他者と語るのは難しい。
“ボクって変態かな?”
私が友人に好んでする質問である。
幼なじみのYちゃんは声を大にしていう。
「だからそうだっていつもいってるじゃんか!オマエは変態だよ!」
私はそのたびに“ええ!!マジで!!”とリアクションする。
「変態」という言葉を『広辞苑』で見てみる。「正常でない状態」とある。
“ボクって変態かな?”
べつの日、会社の友人Tちゃんに質問してみた。
「わからない。なぜなら君のいう“変態”の“定義”がわからないから」
辞書には「正常でない状態」と書いてあるとつたえた。
だが、Tちゃんは納得しない。
「“正常でない状態”とは何?」
“変態”について他者と語るのは難しい。
今日は、オープンマイクイベント「名なしの0」でした。
来年2月には100回目を迎える予定のこのイベント。
今年は、100回目にむけて、主催者GOKUさんがいろいろと計画しているようです。
今日は、久々に愚草さんも参加していました。
そのほか常連のメンバーが参加して、今日はいつもより少しずつ持ち時間も長く、
じっくりとイベントが行われました。
写真は、GOKUさんと、
田原さん。
GOKUさんは、メトロノームを使った朗読パフォーマンスをしていました。
GOKUさん、田原さん、植草さんは、最初の頃からほとんど毎回参加し続けています。そのサスティナビリティーというか、毎回の少しの挑戦がいつも素晴らしいなぁと、観ていて思います。
今日は、夜の美術部でした!
ご近所に住む金工作家の角居さんと美術遊びをする会です。
一枚の紙・画面にそれぞれ、最初に何かを描いて、
それを違う人にまわして交換して、
さらにそこに描き加えていく、、、
という感じで遊びます。
今回は、その手法にさらにテーマがありました。
「チマチマ」。
始めの人が、シルエットを画面内に描き、
それ以降の人たちがとにかくチマチマ描いていきました。
みんなで作った作品は来月の美術部まで、階段のスペースに飾ってあります。
ぜひ観ていってくださいね!
寒いです。。!朝方はマイナス7度まで下がるという予報。
今日のネオンのイベントは「歌って!一曲onステージ」。来た人が一人一曲ずつ歌う、という会です。
お馴染みのメンバーに加えて、今日はピアノ伴奏と歌の女性2人組が初参加してくれました!
ステージに上がるのって、緊張すると言うか、それなりに敷居の高さを乗り越えなければならない行為なのかも知れないです。
このイベントは、少しでも敷居を低く、一曲だけなら歌えるんじゃないか!?みたいな事も考えて始まったような記憶があります。
でも、やっぱりステージに上がって歌うって緊張するし、むしろその緊張感が良いような気もする、、
というような事を、見ててぼんやり考えたりしました。
あと、歌を歌ったり聞いたりするのは、プリミティブに愛おしいなぁとか思った2015年始めの「歌って!一曲onステージ」でした。
■中川よしのプロフィール
1975年、石川県粟津温泉で生まれる。幼少より野球に親しむ。
高校卒業後、音楽業界で働くことを希望し、上京。「CDでーた」編集部等に勤務。
その頃より表現者として生きていきたいと強く思い始める。後に長野市に移住。
2004年、鬱状態になり失踪。現在、躁鬱病と戦いながら執筆を続けている。
ネオンホールで毎月開催してるオープンマイクイベント「名もなきオープンマイク・名なしの0」で朗読パフォーマンスをしている、井出マサヒコと申します。
ネオンホールで観た・聴いた、音楽、演劇などの感想文を、月一回自ら朗読します。
…ところで
2015年1月1日、松川村では恒例の元旦マラソンが行われました。約150人の参加者が走っていました。中旬頃には各地で三九郎(どんど焼き)が行われました。参加した子供達は1年の健康を願っていました。
今回は「前川エクスプロージョン×島崎智子 Wレコ発LIVE!」をレポートしました。
お聞きいただければ幸いです。
【読んだ日】2015年1月27日
前川エクスプロージョン×島崎智子 Wレコ発LIVE!
・日時 2014年11月27日(土)19:00〜
・会場 ネオンホール(長野市)
・出演 前川エクスプロージョン / 島崎智子
今日は、今年初久々のはにカフェ営業でした!(ネオントークには1/22も、はにカフェと間違って記載してしまっていました。すいません。)
店主としえちゃん、相変わらず元気そうでした。
はにカフェの常連で、昨夜のライブイベントの主催者ぼっちさんや、同じくはにカフェ常連の前田さんも来てくれて、としえちゃんと楽しくおしゃべりしていました。
今日は月曜なのですが、月の前半演劇の稽古で通常営業をお休みしていたので、夜も営業しました。今日は写真部。水町さんと、初めて参加の林さんとで、レトロカメラの良さについて語り合っていました。
今日、日中ネオンではボスダブのレコーディング。
ローズカフェのメンバーでもありエンジニアのたけぞうさんと、若林くんとで録音していました。
自分は午後から、バンドの練習へ。
夜は、お馴染み小島屋企画ライブ。
新年初の小島屋企画なので「初ライブ」というイベントタイトルだったんですが、
いつの間にか新年会というテーマも加わり、
いつになくゴキゲンに盛り上がったライブした!
最後に出演したオサムちゃんとあくたさんのコンビが醸す安堵感がとても心地よかったです。
今日は、久しぶりのライブでした!
ヤルタ会談の稽古・準備があったりして、ライブ初め以来なので、ホントに久々という感じがしました。
今日は、京都からユダさんというミュージシャンが初めてネオンに来て、
二人のホーリーさん(サイクロンズのボーカル・ホーリーさんと堀内彩花さん)、Da Rue、グッチさんと、盛りだくさんのライブでした。
ホーリーさんが二人出てもらうことになって経緯は、完全に自分の勘違いだったのですが、
でも今日、共演してもらえたのは良かったイイ出会いだったんじゃないかなぁと、勝手に思っています。
堀内彩花さん、久しぶりのネオンでのライブ。本番前、とても緊張してる雰囲気でした。
演奏はピンと集中していました。終始楽しそうで、なんだかこっちまで嬉しい気分になりました。
なんだか、ライブ自体じっくり観れたのが久しぶりで、改めていいなと思ったりしました。
カレーを作りながら。
サイクロンズのホーリーさんの弾き語りは初めてみました。
バンドの曲がほとんどだったようです。なんか、歌・メロディーの良さがとてもダイレクトに届いてきて、すごく良かったです。
Da Rueは、やすみ君が今日は間奏のギターソロを力を入れてひいていて、なんだかちょっと可笑しかったけどとてもイイ、うっとりするような演奏でした。大島さんとのシンクロ率もかなり高め。
ユダさんは、ロックンローラー然としているんですが、どこかシャイで口べたな雰囲気が親近感と言うか愛着を誘いました。
ラストはお馴染みグッチさん。ひょうひょうと、いい歌を聴かせてくれました。
今日は突然、横浜経由・練馬区在住のサイトウさんがよってくれました。
約一年ぶりに、いろいろお話ししました。
今日は、ミニ四駆研究会の日。
今日は、会長の仙台君はじめ、レギュラーメンバーに久々に会えました!
最近、万書(万代書店)に常設で、ミニ四駆のコースがあるらしく、
ミニ四駆がさらにアツいらしいです。
そこに行くと、たいてい研究会の誰かがいるらしい。
そして、なぞの人物が、ぶっちぎりのタイムを残しているらしい。
というような話題で盛り上がりました!
今日は遅く始まって、遅くまでマシンを走らせていたんですが、
終わって片付けたあと、みんな万書にいったようです。。!
ネオンホールプロデュース演劇公演vol.3「ヤルタ会談」
アフタートーク( 2015/1/18 夜)の内容をご紹介しますー。
全約30分。長いので2つに分けました。その1からお読みください。
(このページはその2です。)
・その1 ・その2
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増澤 今回2本つくったということでAチーム、Bチームそれぞれの、ま、一つは赤ちゃんだったですよね、その演出の意図を話せる範囲であればお聞きしたいなと。
(Aチーム稽古写真)
(Bチーム稽古写真)
仲田 Bチームの方は、私としては過激というか皮肉ってるつもりなんですけど、もう「お前ら赤ちゃんだよ!」位の感じでやりましたね。でも、よくとればその頃は赤ちゃんだったけどそれが成長していくこともありえるのかもね、みたいな、ちょっと希望みたいなものが感じられてもいいのかもという感じでつくりました。Aについては、違和感みたいなのを出したかったので、旧日本兵みたいなことでやろうと思ったけど、それはあまりにも自分には難しそうだったので、今戦争になりそうとか色々いわれていますけど、もしかしたら現実的に徴兵みたいなことはありえるなと、思ったりして。過去の人たちがヤルタ会談をしている、じゃなくて、鈴木君に赤紙が来ちゃって、壮行会で発表するお芝居の練習をしているみたいな感じでつくろうと思って。だからちょっと近未来のつもりでやってみました。
増澤 いまちょっと出ましたけど、戦争とか、まあ、戦争だけじゃないと思うんですけど、戦争みたいなことって、こうしたらなくせるんじゃないかってことって何か思いつきますか? 月原くん。
月原 わ、こっちきた。あーーーーそうね、とりあえず、文明をあきらめればいいんじゃないですか?便利さをあきらめれば、あのー、物々交換ですよ。利益とか便利さを追い求めずにあきらめれば、戦争なくなるんじゃないかって、若造はおもいましたよ。
増澤 月原くんって、便利そうなもの持ってるじゃないですか?
月原 iPadですね
増澤 あー、そういうのを明日からやめない?みたいなことですか?どうですか?やめられますか?
月原 …………。そうですね、そういうとこですよね。そだからそこをぼくはやめれないんですけど、
増澤 みんなはやめろと!!
月原 笑。独裁者でちゅからね(スターリン役)、いやいや、あのー、そういうとこをうまーくできれば…。理想論です。以上です。
増澤 仲田さんは何かありますか?
仲田 みんな木曽に住めばいい!寒いとこで苦労して暮らしたらいい加減わかる気がする。
増澤 ああ、なんか自然の
仲田 そう、厳しさとかにもまれちゃってた方が、いいんじゃないかなって思います。
月原 たまみさんは…どうおもいますか
増澤 私? まあ、人間である以上しょうがないのかなみたいな。
仲田 ん?!
月原 え?!
増澤 だから争いみたいなこと自体がなくするのは、人間っていう種族的にもう難しいのかなと思っていて、あの、だから完全にはなくなんないんだろうなー、やだけど。っていう所でそれでも、あ、でも、結構、劇っていうのはいいのかなってのもあって、直接的に「戦争反対」っていうとか、実際『ヤルタ会談』を批判としてやるとかじゃなくっても、集団で創作するので、チームの中に気に入らない奴とか、いやなタイミングとか、色んなことが起こるときに、それをどうにかしてなんとか乗り切る、とりあえず公演までは、とか、なんかそんなようなことが割と人生みたいなことに等しいのかなって、嫌いな奴だけど殺さなくてもいいだろうっていうか、あ、やっつん(月原くん)の事じゃなくてね。
月原 う、うん、いまこっちみられたなーって思った。笑
増澤 そ、ま、なんとか粘って、どっか折り合える場所もあるだろうし、どっか何か共通点もあるだろうみたいな所でやってく体験だと思うんです。締め切りがあるのでその、公演っていう、そこまでならやれる、みたいな、その、「そこまでならやれる」っていうことを死ぬまで続けてればいいのかなー、みたいな事は思いますね。
…じゃあ、あとは、"今後の活動予定”っていうのが(カンペに)書いてあるんですけど…
月原 ぼくは2月のもんぜんまち劇場でtheeの公演に出演します。ぼくと、ムラタさんと、鈴木君と。
増澤 じゃあ、もし今日、月原くんたちになんらかの愛着がわいた人いたら観に行ってみてください。笑。
月原 ちょっと、毒があるような…
増澤 笑。そうかな。仲田さんはどうですか?
仲田 私は、2月中に脚本一個書かなきゃいけないやつがあって、それをなんとかしなきゃいけないなというかんじ
増澤 その脚本はどこで?
仲田 静岡のたぶん藤枝市という所なんですけど、家康の400年祭とかで静岡県が盛り上がってて、そこで脚本と演出をやらせてもらいます。
増澤 それは市民劇みたいなことですか?
仲田 うーん、公共演劇っていうんですかね、市から依頼されて地域を演劇を使ってアピールするっていう企画で、市民の方はエキストラでちょっとあるかもしれないですけど、でも、つくって持って行く系です。
あと、ジャパンフェスっていうのがベルリンであるんですけど、合気道とか生け花、おにぎり、大きな建物で、もう何でもあるんですよ、和太鼓とかお寿司とかお茶、指圧とか、そのなかで今一緒にやらせてもらってる女優さんが、歌舞
伎プレイをやるんです。その演出を手がけています。
増澤 私に関しては、もんぜんまち劇場をプロデュースしていますけど、ネオンはこのプロデュースシリーズをしばらくは年に2回やって行こうと思っていまして、次は7月にネオンホールの大沢夏海ちゃんが演出でやりたいなと考えています。それから、柴幸男君の演出で、オーディション、公募してやるってことが今決まっています。
じゃあ、会場から質問ありますか?
お客さん さっきの演出のはなしで、「重心が高い」っていうのは肉体的な意味なのか、精神的な意味なのか、どっちなんですか?
仲田 えっと、身体に対する意識みたいなものですかね。どういったらいいんだろう。前の月原くんの芝居みたいな感じ。笑。上にどんどん出て行くみたいな感じですかね。
お客さん 対面している人がいるのに上に行っちゃうってことですか?
仲田 あーそうですね。月原くん、どうですか?
月原 なんか聞くときとか、はなししているときに顕著なんですけど、普通に話しているとこういう状態なんですけど、でもお芝居してるときにぼくよくこうやって(上目遣い)聞くんですよ。背が高いっていうのもあるんですけど。セリフを言うときに「オーバースローで投げてるから、アンダースローで投げて」っていわれたときに一番しっくり来ました。感覚的に。
お客さん 受け取りやすいってこと?
仲田 受け取りやすいとか受け取りにくいとかは、あまり関係なくて、どう、そこにいるかみたいな。存在がうわずっている?
増澤 ふわふわしているというか。劇のために劇をやる、みたいな。かんじなのかな。
お客さん なんとなくわかりました。ありがとうございます。
増澤 他にありますか?
お客さん2 この作品をどこかに持って行ったりしないんですか?
増澤 あぁ。
仲田 あーそうだ、私終わったら営業します。
増澤 実は今回、作品をよそに持って行きたいというのがあったんです。そういうチャレンジの意識でやりたいなっていう気持ちもあって、まあABつくった中でどっちかだけでも。できがいい方だけでも持って行ければ、それで巡業やれればいいなということで、候補としては仲田さんの静岡っていうのと、松本でできればいいかなっていうのは考えています。
はい、じゃあ、この辺で終わらせていただきたいと思います。
長い時間ありがとうございました。
月原、仲田 ありがとうございました。
(玄関から舞台まで、美術は、なかやま☆はるかさん)
→その1に戻る
ネオンホールプロデュース演劇公演vol.3「ヤルタ会談」
アフタートーク( 2015/1/18 夜)の内容をご紹介しますー。
全約30分。長いので2つに分けました。その1からお読みください。
・その1 ・その2
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増澤 今日はご来場いただいてありがとうございます。演出の仲田恭子さんと、Bチームの俳優月原くんと、総合プロデュースの増沢珠美でアフタートークをはじめさせていただきます。
去年からこの、ネオンホールプロデュース公演企画をはじめたのですが、それまでプロデュース公演は「記念公演」という形で、ネオンホール10周年、15周年、20周年とやってきていました。それを毎年かつ、年に2回くらいのペースで、若手で元気のある演出家を招いて滞在創作をしたいなってことで、今回で3回目になります。
仲田さんに演出を依頼した経緯は、最近、木曽に越してこられたということで、ちょくちょくお会いする機会があって、で、作品を見たときに、知り合いのことばを借りますが「攻めてるな」って思ったんですね。それで、ネオンがこれから演劇を一生懸命やっていこうって時にぴったりな演出家さんかな、ということで仲田さんにお願
いしました。
仲田さんはどうして受けたんですか?
仲田 1年前の『もんぜんまち劇場』に参加をさせていただいたときに「長野でやってくださーい」っていう軽い流れがあって「じゃあ、ぜひ」というかんじで。増澤さんが、さくさくすっきりしていて、なんか面白いなと思って、まあぜひやってみたいなと。笑。あと、長野に面白い方がいっぱいいたので、いいなと思って。はい。
増澤 今回の企画の意図として、AチームBチーム2つ両方観てもらって"演出"っていうのが一体どういうことなのかっていうのを味わってもらいたいなっていうことで、両方、無理矢理、観てもらう形のチケットにしました。
会場 笑
増澤 演者でももちろん違うけれども、やっぱり演出でお芝居がいかに変わるかっていうことを観ていただければ、これから先いろんな意味でこの界隈の演劇にしろ、表現にしろ、豊かになっていくのかなというようなことでこういう形をとったんですが、Bチームのキャスティングは実はネオンホールの側で決めてます。私が出演した事に関しては、みんなに「お姫様やりたかったんでしょ」っていわれたんですけど、まあ、もちろんピンクのドレスは着たかったけど!
(稽古写真)
会場 笑
増澤 ドレスっていうのは先に決まってたことじゃないんです。仲田さんの演出を一番身近でダイレクトに味わいたいなと思って、出演したということなんです。まあ、そういうなかで、中沢清さんはいつもカフェシアターを率いてる座長で演出家だったりするけれど、ここはもう“役者”で、どかっと入ってもらおうと。…それで、あと一人どうする?というときに、『ヤルタ会談』っていう史実に対して、中沢さんは非常にリアルだと思ったんです。史実に対して身体の接触があるなと。私なんかは感覚としても皆目なくて、で、さらにもっとない若い世代とのセッションっていうのが、ある意味この問題をダイレクトにあらわせるんじゃないかと思いまして。“若い人”で誰だってなったときに、月原くん、が、いいだろうと。あの…
月原 めんどくさい奴として…
(稽古写真)
増澤 そうですね。笑。そう、“エネルギーが高い人”として月原くんが選ばれたんです。笑。今回やってみてどうでしたか?
月原 あ、そこで来ます!?えっと今回やってみて…ぼくは2つ返事でオッケーしたんですけど、やってみたらものすごい大変でした。すんごいおこられたんですよ。仲田さんに。「そうじゃない!そうじゃない!」って。千本ノックみたいな感じ。
増澤 何を中心におこられたんですか?
月原 …なんか、具体的になっちゃいますけど、えっと、お芝居の、ぼくの芯が高いと。重心というか、芯が高いとこにあるからもっと落としなさいよということを言われたんですけど、ぼくそれがどうも良くわからなくて、ふはは。やってても全然わかんなかったのをひたすらおこられて、えっと、なんとか間に合いましたか?
仲田 はい。笑
増澤 その辺はどうだったんですかね?ぱっと観た感じと、経緯と、結果でいうと。
仲田 そうですね。中沢さんも珠美さんもすごく説得力があるというか、ベテランなので、それに対して対等な感じに見えないと作品的に成り立たないので、ちょっと頑張ってもらうしかないなという感じで。
(稽古写真)
増澤 具体的にはどんな稽古をしました?
仲田 最初は、鈴木メソッドとかちょっとやってみてもいいんじゃない?とおもって重心を安定させるっていうのをやってみたりもしたんですけど、あんまり効果がないなと思い始めて、で、演出プランも変わってきたのもあって、細かい指示を一個一個していって、なんとなく「まだ全部“点”だけどうまい具合に全部をつないだら良くなるかな」と思ったけど、うーん…という感じになって…。で、もう間に合わないって1週間くらい前ですかね、時間を取って行動線とか全部で8ページくらい書いてそれを最初から整理をしなおして、上からじゃなくて下から投げるみたいな事をスポーツに置き換えて説明したらすっと入ったみたいで、それからは(芯も)上がらなくなりましたね。
増澤 ブロックとかを置いたり持ち上げたりもしてましたけど、アレもそういうような所からのアプローチですか?
仲田 それもあるし、スターリンのキャラクターづくりもあります。
(稽古写真)
増澤 なるほど。まあ、Bチームはそんなかんじだったんですけど、Aチームに関しては仲田さんに(キャストを)セレクトしてもらったんです。押しつけじゃなくて仲田さんのやりたい人とやってもらいたいと思ってAチームのキャスティングをお任せしました。下垣さん、ムラタさん、鈴木大地君っていうキャストになってますが、この辺の視点というか、理由はありますか?
仲田 あー、実は私、ダブルキャストっていうのを忘れてて、「仲田さんキャスト決まりました?」っていわれて、「いけない!」とおもって慌てて「そう言えば前、下垣さん私のやつに出たいって言ってくれてたな」とかって思って、で、ムラタさんは初めて見たときから大好きな女優さんで、ぜひと思って、あと鈴木君はそう言えばキソだったなって
増澤 キソ?
仲田 あ、木曽? 私が住んでるとこの近くの出身で、じゃあ、みたいな。笑。
増澤 あー、なるほど。Aチームの課題はあったんですか?
仲田 Aチームは、私の意図として、日本人として「やだなー」と思う内容を、日本人が芝居でやらされていることの違和感を、なるべく活かす形でやってみたいなという気持ちがありました。なので、キャストの課題というよりも、自分のやりたいことが成立しきれないんじゃないかという気持ちがあったりもしていますね。はい。俳優でいうと鈴木君が始めて3年くらいで、まだ弱いというか、月原君もなんですけど、受ける芝居をすごいするんですよね、それでずっと通しちゃうみたいな感じがすっごく気に入らなくて 笑。
増澤 気に入らなくて 笑
仲田 そう、そこは変えようと思って頑張りました。
→その2につづく
今日は、テーブルゲームの日。
20人くらいの人が来て、鍋を囲みながらゲームをしていました。
ところ狭しと、いくつかの輪を作って、
ゲームをしては、鍋を食べ、またゲーム。
お正月って感じです。
最後は、お馴染みの人狼ゲームを、全員でやりました。
ヤルタ会談も終わり、片付けもあらかた済んで、
火曜から、通常営業をし始めています。
昨日は、5年目に突入したまんがとか部、今日は、吹き部の活動でした。
昨日今日、夜はとっても冷え込みます。
寒かったので豚汁を作りました。
明日は、テーブルゲームの日、みんなで鍋を食べる予定です。
2015年のネオンホール最初の大イベント、「ヤルタ会談」が終了しました。
観に来てくださったみなさま、どうもありがとうございました!
プロデュース演劇公演は、去年から始まり、3回目。
今回は演出家・仲田恭子さん、6人のキャストと共に、11月くらいから稽古を始め、2チームのヤルタ会談を創りました。
ダブルキャストでの2種類の演出のヤルタ会談を続けて観てもらうという、初めての試みでもありました。青年団のオリジナルのヤルタ会談とも違うし、2チームでもけっこう違っていて、「演出」によって作品がどう変わりうるかがわかりやすかったように思います。
短い台本ではあるんですが、3人だけしか出演しないので自ずと一人一人の台詞量やウエイトが高くて、コンパクトだけどシビアでした。
また今回は演劇実験室カフェシアターの座長・中沢清さんに役者として出演してもらったこともあまりない経験で、毎回の稽古がとても刺激的でした。役者としての中沢さんはとっても貪欲で、チャーミングで、何より楽しそうで、稽古に向かうエネルギーももの凄く高く、作品にとても熱を注いでもらったように感じています。
昨年の「マッチ売りの少女たち」、「ハムレット?」でも感じた事ですが、プロの演出家の方と一緒に作品を創る現場はとても面白いです。作品が日に日に変化して、面白くなっていく、深みを増してく、出来上がっていく様子を目の当たりにできるのは、(気を抜くと客観性を失ってしまったりする可能性もあるんですが、)貴重な時間だと感じています。
プロデュース公演で始まった2015年のネオンホール、今年はさらに2本のプロデュース公演を予定しています。お楽しみに!
長野市民日記117 2015年1月20日(火)
今日、誕生日だった。
三一才になったのである。朝、電話で「パパ!ボク三一才になったよ!ありがとうね!」と父(六一才)に言った以外、特に行事はない。
午後、雪かきの仕事を終え、アパートに帰ってくるとやかんで湯をわかした。ゆたんぽに入れるためだ。
湯をそそいだゆたんぽを敷きっぱなしの完全一人用布団(特注品・Hできません)に入れ自分ももぐり込む。“あたたかい”。
貧乏なので部屋にストーブなどの暖房装置は無いのである。
そして枕元の携帯DVDプレーヤーで宇宙ロボット系アニメを観る。
「無量大数(一〇の六八乗)の敵にメガ粒子ビーム!」的な。観てる内に寝てしまう私。
目をさますと外はもう暗くなっていた。
“よし!今夜も四時間読書をしよう!”
読書をするためデニーズへと向った。
■中川よしのプロフィール
1975年、石川県粟津温泉で生まれる。幼少より野球に親しむ。
高校卒業後、音楽業界で働くことを希望し、上京。「CDでーた」編集部等に勤務。
その頃より表現者として生きていきたいと強く思い始める。後に長野市に移住。
今作はジ・オーパーツの「千史」よりインスピレーションを得た。感謝。
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(Bチーム)スターリン役・ 中沢清さん
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若:若林
中:中沢清
ナ:ナツミ
若 よろしくお願いします。中沢さんは、普段どういう仕事をされているんですか?
中 和光照明っていう、アンティークと照明のお店の経営者、有限会社和光照明の2代目社長っていう肩書きになるかな。
若 あ、二代目なんですね。
中 そう。実家が照明専門の電機屋なんですよ。今の和光照明はアンティークの割合の方が多い位だけどね。あと、昔住んでたとこのね、ビルのね、経営も共同でやったりしています。和光照明も昔そのビルの中にあって、ネオンホールと同じくらいの広いスペースでやってたんですよ。で、電機屋の若旦那というか坊ちゃんとして、店とそこの商店街のこと20年くらい、もう、一生懸命やったよね。演劇とか大道芸とか呼んだりもね、自分たちでやったりしてたんだよね。あれね珠ちゃんとか今権堂のこと一生懸命やってるけど、私らはもうね20年やってね、それでもうある程度行き着く所まで行ったんですよ。で、いくとこまでいったので東口に10坪くらいの自分の店を作って。あのねぇ、商店街ないとこにね。
若・ナ 笑
中 もう楽しくてね。裏の駐車場でカフェシアターの道具を作ったりね。自由だったねー。最高でしたよ。だから、それから非常にラジカルに演劇活動をやってるね。50歳くらいだったからね、人生何できるかなって時に、まあ演劇はやっていこうと。
若 今おいくつなんですか?
中 今66。66っても色々ですよね、なんかの社長になってる人もいるわけだけどさ、でもその人がくねくね演劇できるかっていったらそうとも限らないもんねえ。そうだなぁ、今は社会とのつながりは、演劇を通してっていうのが強いね。えぇ、強いね。
若 ちなみにいつから演劇を始めたんですか?
中 はじめたのは18。東京の電気の専門学校に行った時からですよ。
ナ 最初からアングラ志向だったんですか?
若 最初はまじめな会話劇でしたよ。でもだんだんね。そのころ学生運動とアングラがリンクしてたから、アングラを求めて大学に進学して、で、天井桟敷にとびこんで。1970年代の最初の頃ですよ。で、75年の終わりくらいまで活動してたんですよ。
ナ なんで演劇を?
若 高校のときなんも部活に入っていなかったんだけど、たまたま演劇部の幕引き係をやったんですよ、幕のとこに隠れてね、そのときね、ふっと「なんで同じ高校生がこんなにはつらつとしてるんだろう」って。
ナ 憧れ?
中 そう。憧れだね。あと、変身するのは好きだったかもしれないね。ちっちゃいとき我々の頃は月光仮面ってのがあってさ、眼鏡つくって股引はいて、もっこりしたベルトつけて、シーツでマントつくって。でさ、裏口からさ、やおら、のそ のそと出てきてふっと我に返るととそのかっこうしてるわけ。おかしくなっちゃってじぶんで笑っちゃりしてね。
若 笑
中 で、小学校で学芸会ってのがあってね、でも私は、奥手っていうか控えめだから、今もね(?!) でも、学年が上がるごとにすこしずつ台詞が増えてったりしてね。で、演技するのは面白いなっていうのは感じたんだねー。
若 ほー
中 あとはね、こどもの頃といえばね、自転車こいで市民会館までいってね、町の子供は演劇とか歌謡ショーとか潜り込んでみてましたね。楽しかったなー。照明は奇麗だしね。将来、演劇やるとは思ってなかったんだけど、なんかきっと憧れてたんだなー。
若 なるほど。で高校卒業して…
中 そう、ね、うちの柿の木見ててもしょうがないじゃんって感じで、何でもいいから東京いこうって東京行って、たまたま出会っちゃって(演劇に)、で、だんだんエスカレートしていって、勉強どころじゃなくなって…。
ナ 天井桟敷って誰でも入れるんですか?
中 誰でも入れるよね。面接はあるよ。面接。真っ暗の中でスポットライトをガンッて当てられて、小さな部屋に閉じ込められて、そこに試験官がいるんだけどの顔が見えないの。
ナ 拷問じゃないですか!笑
中 で、わたしなんか寺山さんのこと研究してるからさ、アンティークの鞄にどっちゃり入れてさ、わざとこぼすの、寺山さんの本を。
若 !!
中 そう、なんか課題いわれんだよ、「鼻くその効用を述べよ」、とか「物理的な演劇の空間の変革についてどうおもいますか」とか、で結局うかるんだよね。で、事務所に行くと15歳くらいの女の子とかいろんな人いてさ、そんなかんやで、はじまったんですよねー。で、まあ合宿とかやってたら、いきなり寺山さんから原稿用紙1枚くらいの台詞貰ちゃって、大阪と、東京のTBSホールの、その、ラストシーンで「無人島でなんとか…」ってしゃべるんだけど、もうもうと煙の立ちこめる中、客席から立ち上がって台詞を言うのね、で、アドリブを言っちゃったんだよね。「天井桟敷なんてまだ幻想だ!!」とかいって。
ナ おおお!
中 そこまでは良かったんですよ。でもスモークのオイルで床がツルッツルで、滑っちゃって、今も傷あるかな、額を何針か縫うはめになっちゃって、すぐ六本木の外科につれてかれて縫ったんだけどね。医者に「この人職業は?」って聴かれた時、舞台監督の稲葉さんが「俳優です」っていったんだよね。「入ったばかりの学生です」って言われたらそれまでなんだけど。そのときだよね。「そういう世界か」と。「これはなんだ?」と。存在を認められるっていう。そこだね。
若 それが今も続けている元なんですか?
中 まあそうですね。ようするに、名付けるって事なんですね、「あんた役者だよ」って。プロなの?って時に、それで収入得てるかどうかではなくて、やっぱり自覚だと思うんだよね、俳優っていう自覚。それしかないじゃない。日本の演劇なんて、90%はいわゆるアマチュアが支えてるんだから。じゃなかったら日本の演劇文化なんて無いに等しいから。名付けることできまるというかさ。自覚だよね。まあ、外側から観ると幻想なんだけど、やってる側はね。
若 ムラタさんも、中沢さんに名付けてもらったことを話してくれました。嬉しそうに。
中 そうですかー。そうそう、演劇って、基本的には“遊び”なんですよ。PLAYね。遊びって真剣にやるとそれはもの凄いでしょ。まあ中には「遊び」っていうと誤解する人もいるんだけどね。でもね、人間は遊ぶ生き物だって。稲つくったりするのも大事なんだけど、絵を描いたり彫刻つくったりすることも大事なわけなんですよ。
若 なるほど。
中 私にも転機があってね1993年、その前までパフォーマンス的な演劇やってて、それはもうみんなまきこんで大きい会場でね。脱・寺山修司をやってたの。でも、どうも違うな、と感じて、アングラに戻ったの。それが1993年、それはもうエポックメーキング的なね、ネオンホールに二日間で300人入れたね邪宗門。役者が動く所は4畳半くらいしかなくて、もうすべてが納豆みたいになってですね、交番からおまわりさんもよばれちゃってね。清水君がネオンホール始めて1年くらいのときですよ。だからネオンとともに再生したんですよ私は。本当だよ。この館(やかた)とともに再生したんですよ。ネオン20周年でも「邪宗門」してもらってさ。
若 僕もその20周年の「邪宗門」観に行ったんですよ。当時のバンドメンバーが出ていて。上手くいえないんですけど、なんかうねりが凄いと思って、2回観に行きました。
中 そうですかー。あのね、演劇ってどんな場所でもできるっていうけどね、場所って以外と重要なんですよ。昔、行きつけの地下の喫茶店で27分の芝居をしたんですよ。そのときその事が夕刊に5段抜きで、ぼん、と出たんだよ。『アングラ演劇、ついに長野に登場』って。催眠術があって、ジャズが流れて、包帯人間あらわれて。そのとき、(劇団の)名前は「集団カフェシアター」にしましょうか。っていわれて「どうぞ」て。それからそう言う名前でいろんな喫茶店で、でっかいアドバルーン膨らましたり、観客縛ったりしてさ、やってたんですよ。
ナ 中沢さんのオリジナル作品をやってたんですか?
中 そう。天井桟敷のコラージュでね。ヒントいっぱいあるから。私は(天井桟敷に)そう何年もいないんだけど密度が凄かったから、自分でいうのもなんなんだけど活躍したからさ、人一倍ぐっちゃぐっちゃになるまでのめり込んで。そのエキスのね、秘伝の壷の隠し味をちょっとづつ使って、長々と、やってます。最近切れかかってるんだけど。笑。
ナ 他の人の演出でやるのは?
中 10年に一度くらいかな。ありますよ。そう言えばペーターゲスナーのに出たとき最後にペーターに「中沢さんは長野の演劇のおとうさんです」っていわれてね、まあ年齢的にもそうだし、まあそうかそうかって、ね。納得したりね。
若 今回、出演依頼がきたときどうでしたか?
中 イヤー今回はね、セリフがねー(多くてね)。誘ってくれた哲郎くんにも、平田オリザはどうだとか、散々文句いってね。笑。まあこの初老のおじいさんにお誘いがくるのは光栄なことですよ。だから二つ返事で受ければいいんだけどね。でもやっぱり演劇は専門性が高いと思っていて、まあ、そんなに甘いもんじゃないよって、他流試合はやっちゃいけないよっておもったりすんだよ。いままでもね、そこまで(人の演出で舞台に立つことが)楽しみきれなかったんだけどね。 …今回は、ふふ、けっこう、楽しいんですよ。
ナ それはアングラだからですか?
中 それもある、演出の仲田さんがアングラチックだしね。平田オリザが云々というのもやっぱりどう演出するのかはある程度自由なんだよね。そういう現場を今まであんまり知らなかったんだね。
ナ 仲田さんもおもしろがってくれてますよね。
中 仲田さんっていう演出家がねユニークでね、それにのって演技やらしていただいてんでございますがっ。私ね、実は、やり過ぎな演技大好きなんだよ。笑。そういうの上手に仲田さんに拾ってもらって。でもやっぱりやりすぎるとセリフがとんだりね…。精密機械なんですよね、演劇ってね。真摯に取り組めばね。みんな一つ一つ部品が面白くてさ。形つくってくんだよね。
若 最後に、僕に何か激励のことばをいただけますでしょうか。
中 何だろうねー。芝居やってあー面白いっ!みたいの感じる?
若 稽古期間中、一回はきついなぁって落ちちゃうんですけど、最終的にやって良かったなって思いますね。
中 そのね、やって良かったっていうのの積み重ねということなんですよ。演劇って、実は、楽しいことなんですよ。
若 ほー
ナ その楽しさの一番のことって何ですか?
中 なんだろうなー。演技とすると、変身、演じきるとか? あとそれこそ、あれですよ邪宗門みたいなスペクタクルの一部、その幻想の世界の一部になって、それを体験できる、その雄大なニセモノの世界をね。もう一つの幻想の世界の住人になって、実人生の中で歴史にはのらないんだけど、体験しているんですよ。作り出して、そしてぱっと消える。でも立ち会った100人は世界を体験するんですよ。
祝祭的で、宇宙的な体験をね。芸術作品をつくってご褒美もらうっていうよりはそっちですね。私の場合。
若 邪宗門は観客としてみていてはそんなかんじでした。わーっていうか、それ以上うまく言葉にできない。
中 そうそう、魔術師だよね。魔術。俳優は魔術師なんですよ。
ナ 操られる人じゃないんですね。
中 そう、持ち込む人なんです。でも生け贄でもある。だなら、なんだ。まあ、演劇ってながくできるからさ。色んな作品好奇心もって観るってことだよね。で、やりたくなったらやる、チャレンジしてみればいいよ、演出でも役者でも。意外に才能あるじゃんって思ったりするよね。
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インタビュー 若林優也
編集 若林優也、ナツミ
いよいよ、稽古最終日。
日中、細々とした作業、準備しつつ、
よるは、ゲネプロ(お客さんがいない状態での本番)、最後の通しをしました。
改めて今日観て、じんとくる瞬間が、いくつもありました。
しかし、、個人的には、かなり反省が多い感じになってしまいました、、
しっかり準備して初日を迎えたいと思います!
ヤルタ会談、皆さん、ぜひ観に来てください!
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(Bチーム)スターリン役・月原康智さん
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若 普段って映像関係の仕事してるんだっけ?
月 そう。ネオンから徒歩3分のSHINKOJIで広告?主にWEBや映像関係のことをやってます。
若 どういうきっかけで演劇始めたの?
月 “13月のエレファント”っていう劇団があって、権堂に飲み屋を持ってたんだよね。そこにたまたま学校の先輩に連れて行ってもらって、記憶無くなっちゃうくらいに飲んで、お店を壊そうとしたらしいんですよ。「この机邪魔っすねー」とか言って。で、そのまま「お前面白いから演劇やれ」ってエレファントの人に言われてやり始めました。
若 それまで、演劇とか観たことあったの?
月 子供劇場みたいなヤツは観に行ってた。
若 で、東京に行ったんだっけ。
月 そう。21の時。“13月のエレファント”が東京で活動するってなって、ぼくも学校を休学して。後から付いていくみたいな形になっちゃったけど。
若 親にはなんて言ったの?
月 …「東京に演劇やりに行く」って。
若 東京でもエレファントと一緒にやってたの?
月 いや、全く別で。好きな劇団のオーディション受けて出て、その繋がりでその後につなげていったかんじ。
若 ギャラとかもらえるの?
月 や、最初の1、2回目はチケットノルマもあって。3回目で初めてギャラ貰ったかな。
若 いくら?
月 1万円くらい。交通費みたいな感じですよね。結構生活が大変で、バイトが13連勤で1日休んでまた13連勤とか。そのなかで稽古もして、って、毎日2時間睡眠みたいな生活をしていて、演劇をしに行ったのに、演劇の事を考えられなくて。演劇やってるって感覚はあったんだけど、色んな事が、ただやってるような状態になっちゃって。
若 長野にもどったきっかけは?
月 親から「来年学校どうすんの?」って言われた時に、「帰る」ってなりました。
若 東京で得たものは?
月 ゲームで言うと、ダンジョンの全貌は分からなかったけど、いままで見えなかったとこが見れたというか。東京の芝居の感じとか。行って良かったとはおもっています。
若 東京の芝居の感じって?
月 最初に出た作品の演出家が、演出で飯食っている人で。演劇に対する1つ1つのエネルギーの熱量が凄かったな。めっちゃ怒られたけど。
若 戻って来てからはどんな感じだったの?
月 鈴木林業をやって、ガラス組とか、声かけてもらったとこにでる、みたいな。後はネオンホールで月原君の演劇班をやったり。
若 なんで演劇班やろうと思ったの?
月 ネオンで話してた時に、やってみる?やれば良いじゃんってなって。まだ分らない事が多いんだけど。何が出来るかとかも。演劇から足を洗った訳じゃないし、なんか演劇にかかわり続けたいな、と思って。
若 何で演劇にかかわり続けてるの?
月 …実は、自分でもそこをしょっちゅう考えてる。なんでだろう。何が良いって言われたら…役者として出た時に、褒められると嬉しいし、またやろうかなって思うけど…。でも、トータルで観た時に、割としんどい事の方が多くて。
若 じゃあ、今後の展望は…。
月 うーん、、そういうの(野望とか展望)を探してる状態というか。最近はあまり演劇をやってるって意識が無くて。何が演劇でどれが演劇じゃないかも未だに分らないし。でもやっぱり何か得るものがあればなって。最近はいろいろとらわれずに、舞台の上で出来る「表現」って事を考えてやってみたいなって。あれ、…ダンジョンと同じですよ。だからいっつも手探りで。敵が強くて全滅したりとか。でもせっかく始めたダンジョンだからさ、最後までやりたいし。
若 全滅したの?
月 毎回全滅してる。笑。それでも色々試してたり、台本書いてるとき、これ面白いなーって思ったりして、鈴木林業でやって、やりきれてなくて、それが全滅だったりするんだけど。別に全滅するつもりは無いんだけどね 笑 それでもちょっとずつ進歩出来てればなって。
若 どんな作品をやりたい?
月 最近ちょっとわかったのは、作り手のエネルギーが伝わって、観る人が考えられる、考える余裕のある作品がすきだなと。すごくくだらなく、チープで誰でも出来んじゃんってやつを、全力でやっているのが良いと思います。
若 仲田さんの演出を受けてみてどう?
月 付いて行くのに必死 笑
若 台本は?
月 いままでずーっと理系だったから、歴史にふれるきっかけになったかなあ。
若 あー。出演者のみんなそれは感じてそう。僕は塾講師のアルバイトやってるんだけど、最近は授業終わった後、ネオンで世界史の授業する感じになってるし 笑
生活の中で、演劇の立ち位置ってどんな感じ?
月 そうだなあ、仕事が長峰さん(theeの演出家)と一緒で、良く演劇の話になるし。漫画とか読んでても、これ芝居に使えそう、とか思ってるかも。
若 みんなに聴いてるんだけど、僕に対して、希望になるような一言を。
月 うーん、正直今演劇ツラいなって思ってるからあんまり希望があるようなこと言いづらいんだけど。そうだな、演劇やっていいことは、出来なかった事が出来るようになったとか、他の人の考え方が知れる、自分の分んなかった自分が知れる、世界が観れる。色んなことが広がる。とかかな。
若 うーん、、ありがとう!
インタビュー 若林
編集 若林、ナツミ
更新日:2015年01月16日|書いた人:
本番まで、あと2日、、!
今日も日中は会場準備。
音響、照明を組んだり、楽屋を整理したり。
なんだかんだで、あっという間に夕方になり稽古の時間。
今日も両チーム別々にそれぞれ通し稽古。
写真は稽古後のBチーム。
中牧こーちゃんがモツ煮を差し入れしてくれました!
みんなで美味しく頂きました。
いよいよ明日はゲネプロです!
更新日:2015年01月15日|書いた人:
大沢夏海
大門上商店街主催の27日間連続まちあるきのびっくり企画。
来週から。参加費無料の上にプレゼントまで。何と!
わいきき制作室の仕事
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(Bチーム)チャーチル役・増澤たまみさん
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若:若林
た:増澤たまみさん
若 いまいち、たまさんが普段、どこまでの事に手を広げてるのか分からないんですけ
ど。
た そりゃあそうか。自分でもよくわかんないし。まあ、まちづくり会社のアドバイザーみたいなこともしたり、「予算○○円でなんかやって」とか「あそこなんとかして」みたいな形で話をふられる事も多いから、結果的にもの凄い色々な事に手を出すことになってます。ナノグラフィカの活動もかなりとらえどころがないからね。運営は共同でやっているんだけど、結構明確に分業してやってて、私は全体の統括的なことと、企画と、いいだしっぺ的な役割。まあでも、「私がやりたいことを言い出す」というよりは、「必要だと思われること」だとか、「◯◯ちゃんがやりたそうなこと」を提案して企画してると思ってる。
若 やりそうな需要が見えるからというか。
た そう。その機能を巫女って呼んでるんだけど、やりたいオーラが見えます、みたいな。で、実際それをやる時は、たとえばネオンの演劇公演で照明とか音響とかは、やら
ない。っていうか出来ない。人員配置やスペース、お金、スケジュールの管理みたいな
事をやる。
若 マネジメント的な所なんですね。
た そう。文句言うだけ 笑
若 演劇との出会いはいつ頃なんですか?
た 大学3年生の時ってことにしておくか・・・。演劇サークルの人から誘われるように、目につくように行動していて、見事、誘われた。天使の像の役。
若 それまで観た事とかあったんですか?
た あったよ。その演劇サークルの公演を何回か観た。あと小、中、高の演劇部の公演とかね。小学校の時からやりたかったんだけど、自分からやりたいって言うのが恥ずかしくって。お姫様やりたかったんだよねー。
若 ・・・・・。
た 実は小学校4年生のとき、期待して演劇クラブに入って、台詞のほとんど無い小坊主の役で。その他大勢みたいな。しかもハゲヅラで。で、同級生のコが主役で。なんであの子が主役なんだ、あたしの方がいいじゃん、って。まあ、主役もハゲヅラで小坊主なんだけど・・。で、実際はたった一言言うだけなのにガチガチに緊張しちゃって。やりたい事とやれる事が一致しないんだよね。でもまた、「わたしならもっとうまくやれるのに」って思って、また打ち消されて、ってことを大学まで何回か繰り返して。天使の像なんてほとんど動かないししゃべらないのに、頭に血が上ってかーってなって、ほとんど意識がない 笑
若 じゃあずっと燻ってたんですね。その後、なぜ演劇をプロデュースする事になったんですか?
た ペーターゲスナー演出の「山姥」に俳優として参加してから。それまで、感情がどうこうって演出しかされたことが無くて、違和感があった。身近で観た作品も、そういうふうに作られてる感じだったから、「はずかしいーっ」とか「ダサいっ」とか思ってて。で、彼の演出を体験して、演劇ってすごい可能性がある、ほんとはやっぱりかっこいいんだって思った。このときもその他大勢の村娘で 笑 しかもしゃべれない娘の役で、出番なんかほとんどないから稽古も少ないのに、演出見たさに毎日稽古場に通ってた。舞台上の俳優周辺の環境や状況を変えることで、俳優の体が変わって、台詞も変わる。
若 ムラタさんにも同じような話を聞きました。合理的ですよね。
た そうなのよ!「もっと泣いて!自分を解放して!それで泣いてるって言えるの?!」とか言われてもね・・・。表現の仕方も新鮮で、山姥の娘に都から来たサムライの全身のにおいを嗅がせたり、数人の村人たちに6mもある竹を片手で持たせてしゃべらせたり。サムライの上半身にスーツを着せて、日本で言うサムライってサラリーマンでしょ?って。
若 なるほど 笑
た で、その後プロデュースし始めた。待っててもお姫様はやらせてもらえない、やりたければ自分が主役の公演をやればいい、って。それで自分がお姫様になれる(はずの)「毛皮のマリー」をプロデュースしました。ネオンホール10周年公演として。ネオンは1994から運営に参加してたけど、バーと平日企画がほとんどで、こんな大きい企画をしたのもはじめてだった。で、演出を中沢清さん(ルーズベルト役)にお願いして美少女の役を私がやりますって言ったら、「ちょっとちがうんだよねー、美少女っていうのは少年をだますんだからさ、むしろたまちゃんは少年でしょ」って言われて。がっかりしました。でも結局少年をやって。でも、「毛皮のマリー」の主役は少年だって教えてくれた人がいて。わたし、そういうこと、ぜんぜんわかんないの。そういう自分にもがっかりします 笑
若 まだお姫様願望はありますか?
た さすがに無くなってるよ!いい加減。・・・まあ、たぶん。
若 プロデュースする事の楽しさって何ですか?
た 例えばさ、去年の夏に若さまが出てくれたハムレットでさ、若者が楽しそうにやっていたじゃん?そういうのを見ると慰められるんだよね。私みたいな仕事をやってると、自分で自分を認めるしか無いんだよね。社会的な地位なんて無いし。だから若い人が生き生きしている場を作れたっていうことがすごくうれしい。許されたっていうか、「あー、やってる事は間違ってなかったな」って思えるんだよね。それがあるからやってるというか。
若 今回の稽古とかはどうですか?
た 毎回、役者やるたびに後悔するんだよね。出来ない事が多くて。演劇のプロデュースは自分の思考回路というか興味の方向というかと一致してて、普段考えていることややっていることと地つづきで、あまり無理がない。ほっておいても考えちゃうし。それは演劇(のプロデュース)でないにしてもそうなんだけど。役者ってなると全然違って、すごいわざわざやんなくちゃならないことが多くて。まあ、身体には興味はあるんだけど、台詞覚えるとか、単純に大変で。
若 でもやってますよね 笑
た 役者の側から、制作サイドに、色々働きかけられる所とか、自分が出来る事もあるかなっと思って。あとついつい魔が差しちゃうのかな・・・役者への思いが成仏してない・・とか・・?
若 今後の野望とかありますか?
た 蔵春閣でレジデンスやりたい。滞在施設を運営することで、演劇とかやれる環境を良くしたい。あとネオンでやる時、もう少しシステマティックにやりたい。モノを動かしたり座席組んだり楽屋作ったり、暗転したり。作品作りの前の段階のことがありすぎて、大変。今回、少し改善したけど。
若 確かに。もうちょっと小回りの効くようにしたいですね。音響周りとか。
た でしょー。
若 では最後に、僕に何か希望になるような一言を。
た とりあえず5年は演劇を続けな。そうすると10年続けられるから。
若 逃がさない気だ 笑
た 5年続ければ、ちょっとは演劇の事が分かるというか、言語化出来るから。まあ何
でもそうだけど。それに演劇って共同作業じゃん。要素も多いから関われる人間も多い
。ある意味人生の縮図っていうか。社会性の乏しい人でも、演劇やると、最後の所で踏
ん張れるようになる、と思ってる。
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インタビュー・編集 若林優也
特設サイト
http://www.neonhall.com/yalta2015/index.html
あと、3日!!
準備、稽古、着々と進行しています。
なかやま☆はるかさんの舞台美術が、今日、ほぼ完成。
今日の作業には、美麻村から、大島さんや麻蔵美術部の助っ人が来てくれていました。
お楽しみに。。!
稽古では、まだまだ、細かな演出が入っていきます。
今日は何となく、両チームのグルーブ感が印象的でした。
粘り強く、面白く。
稽古場って、じぶんにとって(つらさや情けなさも内包しつつ)とても幸福な場所だと思います。
Aチームの稽古後。
ネオンブログに、若様によるキャストへのインタビューがのっています。
下垣さんの話、メチャクチャ面白かったー!
稽古が終わってから、演出の仲田さん自ら、衣装の手直し。
申し訳ない反面、自分でやっちゃう仲田さんの作品に対する愛情やこだわりが、
とてもちかくで感じていてとても心地よいです。
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(Aチーム)スターリン役・下垣浩さん
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若:若林
ナ:ナツミ
下:下垣さん
若 よろしくお願いします。ぼくはデパートのかいじん(信大生サイケバンド)で白塗りで踊ってる下垣さんしか知らないんですけど、下垣さんって普段なにしてる人なんですか?
下 ジュースの会社の副所長です。笑
若 おおお。えっと、演劇との出会いを教えてください。
下 昔、仕事で愛知に住んでて、で、バンドをやってて… え?ハードコアパンク。笑。で、転勤で松本帰ってきたんだけど、その前にバンドをクビになったりして。
ナ え?!バンドって何したらクビになるの?
下 ギターやってたんだよねで、でも、そのうちベースになって、で、こんどボーカルになったんだけど、あまりにあの…、鎖振り回したりね。音楽的に成立しなかったよね。まあ、情熱のはけ口的な。。存在としては今と同じような感じだったかもしんない。笑。(いま、バンドのメンバーとして、白塗り踊り子をやっている)
ナ そのときいくつですか?
下 二十歳くらいかなあ。ほんとは高校卒業して美大に行って絵を描きたかったんだけど、親父に言ったら「そうかヒロシ…東京は砂漠だぞ…」って演歌の歌詞みたいなこといわれて。まあなんだかんだで松商短大にいったんだよね。で、これからはコンピュータの時代だとかいってプログラミングの勉強したんだけどあんまりぴんと来なくって、で、テニスやってた。
ナ えー!さわやか〜!
若 バンドとかはやってなかったんですか?
下 なかったんだよね軽音学部。で、テニス部の部室にアンプ持ち込んでガンガン弾いてたら、やっぱ色んなとこから苦情が来たみたいで。笑。そしたら用務員のおじさんが「体育館の部屋空けてやるからそこで弾きなよ」って言ってくれて。「いいんですか?」なんつって、でそこでギター弾いてた。したらそのうちみんなが音を聞きつけてだんだん部活になったんだよね。
若 おお!軽音部創設!
下 で、はなしもどすと、就職して松本帰ってきて、高校のときアイアンメイデンとかコピーしてた廣田っていう、“経帷子”のね、とバンドまたやろうって。で、バンドやってたんだけど、あるとき「松本演劇フェスティバル」をみた廣田が演劇やりたいって言い出して、で、“スコッティーズ”っていうに出てた“リウマチ”の信大の人たちね、を見たときに「あ、これすげえな」って。うん。「芝居、やろう、やろう」ってなったんだよね。で、アングラとか、舞踏とかね、テレビで見てて好きだったからそういのうをね…
若 え、テレビでやってたんですか?
下 うん、中学のときぐらいにね、11PMでやってたんだよ。木曜日に。寺山修司がでててしゃべったりとか。舞踏の練習風景とか。熊野の合宿とか。これすげえなって、オレこれやりたい!って思ったよね。
ナ アングラの情報をテレビで仕入れるってなんか新鮮ですね。
下 うん、深夜番組でね。ちょっとエロいやつ。うちの人たちが寝静まった後に居間に行ってイヤホンさして、みてたの。
ナ・若 あー。笑。
若 廣田さんと劇団はつくったんですか?
下 うん、今のまつもと演劇連合会の永高さんと廣田と“劇団モノリス”っていうのをつくって、あがたの森の教室でずーっと練習してた。二年間ずっと練習ね。演劇の公演ってどうやってすればいいのか誰も知らなくて。。みんなバンドマンだったからね。
ナ・若 笑。
下 結局公演するんだけど、よくわかんないから100万くらいかかっちゃって。赤字がね、100万ってことね。ないものどんどん買っちゃうから。
ナ わお。どんな内容だったんですか?オリジナル?
下 近未来のやつ。核戦争後の世界とかの。そう、オリジナル。10人位しかいないから一人10万請求が来て、それでやめたやつもいたね。
若 下垣さんはやめなかったんですね。
下 そのときはやめなかったんだけど三年くらいやってて、やっぱ熱の入り方とかみんな違うじゃん、で、いやになってやめたんだよね。で、やめたんだけど、やめて何にもしてない抜け殻みたいになったオレを見て、奥さんが「また芝居やったらいいんじゃないの?」って。へへ。そんでまた芝居やりだしたの。ふふ。出戻りね。
ナ ふふ。モノリスはどうして終わったんですか?
下 まあ、オレはね、内部分裂というかで、手紙だけかいてやめたんだよね。書き置き。
若 え、なんか遺書みたいじゃないですか。
下 でも「あいつは絶対戻ってくる」って言ってカラオケかなんかで一生懸命チャゲアス(の「SAY YES」)を歌ってる永高さんにオレは涙して、ほだされて、やめるのやめたんだよ。
ナ・若 おおおー!
下 それでも最終的には団長の廣田が、「やめる」ってことにして、でも実は他の劇団立ち上げて人誘ったりしてて…。
ナ クーデター?
若 や、トップがそれしたらクーデターじゃない。独立した上でヘッドハントしたってことだね。
下 笑。かもしんないね〜それでおれたちは“演劇実験室経帷子”っていうのをつくって、永高さん達は別のをつくって。
“経帷子”はオレと廣田と松岡さんと舞沢智子さん、えっと舞沢さんは、おれが演劇やるきっかけになった人ね、はじめて見た劇の、主人公の女の子、笑。
若 初恋の人じゃないですか。
下 そうそう笑。あ、舞沢さんは清水さんと一緒にバンドもやってたんだよ。で、中沢さんたちみたいに実験的なことやりたいよねっていって「演劇実験室」ってつけさせてもらったの。
若 長く続けてきてその演劇の好みは変わってきましたか?
下 最初の頃は人の見なかったからね。でも舞踏とかやり出した頃から見るようになってね。5年くらい前かな。色んな表現を吸収したいなとおもったりね。いろいろある中で天井桟敷系はやっぱすき。カフェシアターとか。面白いよね。
あ、あと、アートひかりは衝撃を受けた。羽布ちゃんとか。ああいう人たちの感覚は衝撃だった。アート的な表現というか、衣装とかもね。見せ方がね。
若 実際に(アートひかりの)仲田さんとやってみてどうですか?
下 いや、実はいままでしっかり演出をしてくれる人とやってこなくて。「いてくれればいいよ」っていう事が多かったから。笑。このはなしが来たとき「これはちゃんと向き合わないとな」って思ったよ。芝居にね、覚悟を持ってやらなきゃいけないなっていうきっかけかなって思ったよね。試練みたいな感じというか。
ナ きっかけとして(向き合う)スイッチは入ったんですか?
下 ああ、笑。だいぶ最近になって入ったね。昨日くらい。笑。
ナ 昨日おとといからなんか変わったとおもった!誰かにおこられたのかなって。笑。
下 うんてっちゃん(哲郎)とかが台本見ながらよってくるんだよね。「さっきここまちがえてましたよ」とかいって。これは…、とおもって、いよいよね。昔自分で本かいてたときは、一言一句間違えるのを許さなかったのにね。笑。
若 その脚本に関してはどうですか?
下 いま、今日も朝テレビでやってたけど、結局宗教戦争みたいになってて…イスラム教は危ないとか北朝鮮は危ないっていってるけどそういう情報はアメリカが流して操作してたり。そういのが実際一番あくどかったりするんだろうなとか思うよね。
若 はまり役じゃないですか!(スターリン)
下 最初(スターリン役でっていう)はなしが来たとき、オレ、パンクやってたから「スターリンってエンドウミチロウみたいなのでいいですか?」って仲田さんにメール返したら、返事が返ってこなかったんだよね 笑
ナ そこから比べるとだいぶアレですね。朝ニュース見て「ヤルタ会談」を連想するくらい、自分のことになってきてるというか。
下 そうそう。世界情勢とかやってると、はっとするよね。
若 わかる。わかる。
下 最初は小難しいかんじがするな〜とおもって台本もぜんぜん読む気になれなかったんだけど、視点というかちょっと広げてみると、今とつながってるんだなって。今やる意味、すごくあるとおもう。
若 演劇はたのしいですか?
下 うん。たのしいよね。つらいことも楽しいよ。というか、自分が一歩踏み込めば、何やっても楽しいよ。
ナ できるようになるのが楽しい?
下 いや、できないことはできなくていいんだよ。できなくてもね、おもしろいんだよ。
若 うーん、越える快感というよりは、ハードルに立ち向かうこと自体がたのしいって事ですか?
下 そう、立ち向かって…うん常に立ち向かってる。笑。そのうちね、どっかヘコんでくるんじゃないかなって思って。そうそう、だって、突き抜けられないもん。越えたって、また、壁あるんだもん。笑
若 なるほど…。
ナ じゃあ、ずるずる演劇に巻き込まれつつある若林くんに一言!
下 えーと、なんていうのかな、すごい人のいい感じがするよね。まあ、続けていくことだと思いますよ。
ナ どうやれば続けていられるの?続けてればいつかやめたくなっちゃう時がくるでしょ?
下 あ、衝突とかねするんだけど、そこをかえようとするのはオレに向いてないから、自分がかわるというか。ね。そこで決定的な対立するよりはね。けんか好きじゃないもん。パンクは好きだけど。笑。
若 そうそう、ハードコアとかパンクの人って実は心優しい人が多いですよね。
下 そう、だから(ステージで)牙をむくんだよ。笑。
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インタビュー 若林優也、ナツミ
編集 ナツミ
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(Aチーム)ルーズベルト役・ムラタヒロミさん
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ー 若林君とムラタさんは2014年、“権堂国定忠治劇団”で共演。ー
若 そう言えば、普段は何をされているんですか?
ム フツーの事務職の会社員です。
若 どうして演劇をやろうと思ったんですか?
ム 実は“七味堂”という劇団の座長と小学校からの幼なじみなんです。
第一回公演の受付を手伝ったり、観に行ったりしていて、面白いなーと思っていました。
その友人に誘われて23歳くらいの時に、舞台に立ち始めました。
若 社会人になってからだったんですね。
ム そう。社会人だけど、暇だったから部活の延長みたいなかんじで。
若 その後は劇団に所属したりしていたんですか?
ム そのまま“七味堂”に参加しました。で、その中で、ペーターゲスナー演出の「山姥」という作品に参加した時に、“演劇実験室カフェシアター”の中沢さん(Bチーム、ルーズベルト役)たちと一緒に中条村〜静岡〜戸賀を回る旅公演をして(今も付き合いのある演劇関係のみんなと)親しくなりました。その後ネオンホール十周年公演の「毛皮のマリー」に出演したときに、カフェシアター座長の中沢清さんから「ヒロミ・デ・バルドー」と命名していただきました。
若 ツアーというか旅公演って一体感でますよね。それ以外に転機になった事ってありましたか?
ム 西村和宏さん(“青年団”、“サラダボール”)が演出した作品に出た時かな、感情先行でやるって方法しか知らなかったんだけど、能とかもそうなんだけど、型というか、どう見えるか、っていうのも大事で。感情とか自分の内面的なものは、後からついてくるというか。筋道、段取りからやっていくところが合理的に感じて、転機といえばそこらへんかな。
若 自分のかかわり方に具体的な変化はありましたか?
ム 表現のストックを増やそうとするようになりました。パッとすぐに出せるように。
若 どうやって増やすんですか?
ム 人生経験だったり、色んな作品を観て。パターンを増やすというか。「泣く」って言っても、色々な「泣く」があるでしょう?
若 なるほど。絶え間なく色んな作品に出演されている印象があるんですが、生活との関わりは?
ム 出勤中はブツブツ台詞を言ったり(笑)かなり生活に入り込んでいます。所属としては“thee”、“カフェシアター”、“お能の会”、それに羽布さんの作品のレギュラーメンバーというかんじかな。
若 何が楽しくて出演し続けられるんでしょうか?
ム これだけ続けていると、単に「出れて嬉しい」、てのはさすがにもうないです。「何か得たい」と思って出演してます。あと逆に、満足してしまったら続ける必要は無くなると思ってます。。一生懸命になれる理由としては、今急に死んじゃったら困る人がいるなとか、生活の中にも緊張感があるっていうのはあるかも。
若 死ねない理由みたいなかんじでしょうか?
ム 私にとって、ないと死んじゃうって訳じゃないんだけど、そこを外から貰えるというか。
若 出演するかどうか、って決める時に、どういう所で決めてますか?
ム 自分が面白がれるか、って所かな。今回は、仲田さんに呼んでもらったので、2つ返事で決めました。
若 仲田さんのどこが魅力ですか?
ム 攻めてる所かな。演出や衣装もそうだし。なにかメッセージ性を持たせている所かな。
若 長野市の演劇はどうやったらもっと面白くなると思いますか?
ム うーん。あ、ネオンのやっている事、今回は特に大事だと思ってる。みんな実はよくわかってない「演出ってなんぞや」ってのを提示しようとしているというか。同じ脚本でも、演出が違えば手触りが全然違ってくるんだよね。後、色々な作品を観た方が良い。良いのも悪いのも。
若 面白いと思う作品は?
ム “劇団☆新感線”の「アテルイ」とか。かっこいいんだよね。殺陣とかコテコテなんだけどいちいちかっこいい。あと、暗いヤツよりは、どちらかというと面白いものがいい。でも、単純に面白いだけじゃなくて、ちょっと毒というか、ブラックユーモアがある作品が好き。若様は?
若 なにが面白いかって言うのがまだ上手く言葉にできなくて。中には観てて辛いなってのはありますけど。
ム そこを分析しながら観ると良いんだよ。話が面白くないのか、役者が気障すぎるのか、衣装か、音が気持ち悪いのか、それとも体がキレてなくてぬるっとしているのか、とか。
若 ああそういう事なんですね。ちなみに長野周辺の作品で良かったな、っていうのはありますか?
ム “たなかぱんだ”とか。あと、“ゴッサン”(ゴッドサウンド+スタジオエンド)。基本バカなんだけど、バカなだけじゃなくて、きっちりやるんだね、あの人達。舞台に対してとても真摯なんだけど、作品に対して小馬鹿にしているというか、ちょっと角度を変えて遊びを入れてやるんだけど、その遊んでる所が逃げてないというか。凄くバカな事をまじめにやっていて、それが逃げじゃなくて。意思があって、ちゃんと戦略のもとでちょっとズラしてやっている所かな。
若 今後の野望というか、やりたいことは何かありますか?
ム 七味堂が今は活動休止しているので、復活させたいな。後、また演出もやってみたい。役者に音響に照明に、色んな人を使って自分の面白いと思う事を表現出来て、お客さんから反応を貰えるってのは面白いよ。
インタビュー 若林優也
編集 若林優也、ナツミ
■中川よしのプロフィール
1975年、石川県生まれ、長野県育ち。現在、長野市川合新田に暮らす。
1/16(金)にKIMONOS×skillkillsの初共演となる2マンライブを開催。
絶賛予約受付中です。2015年のライブ初めにいかがでしょうか。
詳細は「中川よしのは、ここにいます。」(http://nkgwysn.exblog.jp/)で。
火曜日、本番まであと4日。
今日も、昼間は劇場準備、午後から夜にかけて稽古しました。
今日は、Aチームの写真を少し。
見た目にも面白い!お芝居なので、当日までお楽しみに、、!
仲田さんはじめ、緊張感がありつつも面白いことに貪欲なメンバーの雰囲気がとても心地いいです。
プロデュース公演おなじみのWEBコンテンツ「インタビュー」。
今回はキャスト一人一人と、ずばり『演劇』について、
去年演劇デビューしたネオンスタッフ・若林君がおしゃべりしました。
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(Aチーム)チャーチル役・鈴木大地君
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若 昨年「ハムレット?」(ネオンホールプロデュース公演vol.2)で共演させてもらったとき、勤めていた会社を辞めたとききましたが、今は何してるんですか?
鈴 フリーランスでweb制作の仕事と、SHINKOJIのオフィスにいるデザイナーさんのお手伝いをしています。
若 演劇を始めたきっかけは?
鈴 実際初めて面白いって感じたのは、月原やすとも(Bチーム、スターリン役)が昔所属していた、「十三月のエレファント」の作品ですね。それまでピアノしかやって来なかったのですが、生身の表現の迫力や、人が作る空気とかに、単純に面白さを感じていました。
若 どうして自分もやってみようと思ったの?
鈴 まさか自分が出るようになるとは思っていなかったんです。学生時代、一年遅れの同級生同士、月原と2人でユニットを組むことになって。。最初はチョイ役という話だったのが、キャストが集まらなかった為、主役級の役になりした。笑。2011年の鈴木林業の公演です。「幸せのど真ん中より」という作品で、ネオンホールでやらせてもらったのですが、唐ゼミの長野公演日と被っていました…。。
若 もっと長くやってると思ってました。その後の活動は? 去年は特にとてもたくさん参加されていたように思いますが?
鈴 鈴木林業はしばらくお休みしていました。ガラス組にでたりリーディングやったり。羽布さんの作品に出たりダンスをやったり。邪宗門に参加して、身体表現の面白さと出会ったりしました。
若 それが今やっているユニットの、『シシとムー』の大元にあるってことですか?
鈴 大元の大元になっている感じです。それから、昨年は3年ぶりに鈴木林業の公演をやったり、Theeやネオンホール短編劇場、ハムレット?に出たり、色々な所にお呼ばれしました。
若 演劇の楽しさって何ですか?
鈴 ずっと一人でピアノをやって来たので、人と合わせるときのフィルターの無さ、一緒に作る空気が上手くハマった時に面白いと思います。
若 密な関係性というか、音楽でいう所のグルーブ感というか。
鈴 そうですね。単純に体を動かす事が楽しいというのもあります。
若 今まで出演してきた中で、これは上手くいった、という瞬間は? 成功体験というか。心が動く瞬間を共有出来た、ということは?
鈴 舞台上では…まだ無いですね。終わった後のお客さんとの話の中ではありますが。
若 まだ無いんですね。それってピアノのステージでは?
鈴 ありますね。。…演劇でいうと、自分の中では凄く納得出来た、というのは昨年の松本演劇祭に出た時にありました。ただ、音響や映像が入り乱れていたので、お客さんの空気とかはよく分からなくて。もうちょっとなのかな、と最近感じています。自分は納得出来るまでに凄い時間がかかるのかな、とも思います。今回もまだ掴めてないですし。
若 納得できたときというのは何をしてそうできたの?
鈴 内容を理解して納得したうえで、いっぱい練習した、というのを最後まで出来た、という事だと思っています。どうしてそこまで行けたのかは覚えていないですけど。それは結局、自信っていう事に繋がっていくんだと思います。
若 今回の台本はどうですか?
鈴 最初読んだ感じで、日本の世界での立ち位置みたいなものを凄い伝えられる劇だと思いました。そういう事に、気づかないでいいや、と思って暮らしている人が多い気がして。自分もどちらかというとそっちよりなんですが。そういった人達に対して投げかけることが出来る、知るきっかけになる作品だと思いました。まあ、覚えにくかったですが…
若 どうして演劇を続ているの?
鈴 認めてもらいってのはありますね。
若 満たされてないの?! わりと満たされているように見えるけど。ピアノもあるし。
鈴 でも、誘われなければ絶対やってなかったと思います。最初は恥ずかしかったし。でも一回公演をやりきったら凄いハードルが下がった気がします。
若 それはわかる気がします。
鈴 それでハードルが下がったら、表現するツールの一つになって、色々模索したいな、という欲求が出てきました。
若 これから演劇をやっていくとして、なにか理想像ってありますか?
鈴 どんな人になりたいってのは全然分からないですけど。演劇を作りたい、というよりは参加したい、という感じです。プレイヤーというか。常にプレイヤー、役者でいたいです。演出とかはやった事が無いんで、出来るかもわからないし。あと、音楽を舞台に、何か新しい形で取り入れられたらな、といつも思っています。
若 割と、最初の一歩というか、スタートの所のハードルがものすごく高い人だな、という印象を持ったんですが。
鈴 そうかもしれない。動き出すのが凄い遅いし。今回も演出してもらったこと、技術的な指示とかに対して、理解とか納得するのにちょっと時間がかかってしまって苦労というかちょっと悩んでいます。自分で気持ちを探ったりするのはちょっと苦手です…。今まではわりとそれ含めて指示をもらってたというか。。
ナツミ あ、でもピアノ(の演奏)もさ、楽譜には「だんだん大きく」って、それだけの指示がただかいてあって、で、その通りにやってみて、で、ちゃんとできると、あとからなんか納得できたりするんじゃない?
鈴 ああ、なるほど。。
(----しばし悩み相談---)
若 ちなみにどんなの(演劇)が好き?
鈴 楽しいのが好きです。訳が分からなくても。昨年まつもと市民芸術館でみた「もっと泣いてよフラッパー」は面白かったです。楽隊とかが一杯いて、ミュージカル調で。3時間なのに全然長く感じませんでした。単純に楽しかったです。
若 最後に、僕(去年演劇デビュー)に何か一言、演劇の希望みたいなものを語って下さい。
鈴 演劇やって凄い良かったのは、姿勢が良くなったのと、無駄にちょこちょこ動かなったことです。最初に凄く指摘されて直しました。ちょっと自信が出るというか、堂々と出来るようになります。
若 演劇の効能って感じですね。もともと出来てそうなイメージがあったんだけど。姿勢悪いってイメージが無かったです。
鈴 姿勢が良くなると、見え方も違ってくるし。希望というとぱっと出て来ないけど。
若 じゃあ、僕を誘い込むようななにかがあれば。笑
鈴 若手の男優人口が極端に少ないので、演劇やっているというだけで引っ張りだこ。モテる気分を味わえます。どこからでもチヤホヤされますし、かわいい女の子が沢山います。
若 ちょっとやる気でてきました!
インタビュー 若林優也
編集 若林優也、ナツミ
今日は、祝日だったんですね。善光寺や中央通は人通りが多かったです。
ネオンの最寄り神社、田面稲荷ではどんど焼きをしてました。
しめ縄焼いてもらいました。
今日は昼前から、劇場の準備をしました。
舞台美術や、セット、客席がだんだん作られつつあります。
午後は、2チームの稽古。
昨日の合同通し稽古を受けて、キャストのみんなの意識が変わったのを感じました。
演出もより細かく、指示が入っていきます。
役者のやり取りの中に見所がどんどん増していきます。
稽古後、仲田さんは自ら衣装作り。
ラストスパート、です!
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ネオンホールプロデュース演劇公演vol.3
「ヤルタ会談」
作:平田オリザ
演出:仲田恭子(アートひかり)
このへんてこな会談は《愛》なのかも、しれない。
「ヤルタ会談」は、第2次世界大戦終戦間際、米・英・ソ首脳によって行われた世界史上最大の秘密会談を平田オリザ氏が辛辣なブラックユーモアを盛り込んでパロディ化した作品。もともと落語のために書き下ろしたものを、後に劇場版として戯曲化しています。今回は、ダブルキャストによる、趣の異なる二つの「ヤルタ会談」を2本続けてご覧頂きます。
会談A(そっちチーム) 下垣浩×ムラタヒロミ×鈴木大地
会談B(あっちチーム) 中沢清×増澤たまみ×月原康智
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2015年1月17日[土]-18日[日]
時間
17日[土] 14時〜 会談A→ 会談B 19時〜 会談B→ 会談A
18日[日] 13時〜 会談B→ 会談A 18時〜 会談A→ 会談B
会場
ネオンホール長野市権堂町2344・2階 ☎ 026-237-2719
料金
一般前売り¥2000 学生¥1000 (一般当日券¥2500)
*日時指定・全席自由。
*整理番号はありません。入場は先着順です。
*学生券は当日受付で学生証をご提示ください。
*開場は開演の30分前、精算受付は開演の60分前に開始します。
*共に1ドリンク付き 小学生以下無料(要保護者同伴)
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チケット予約・お問い合わせ
1. ネオンホールメール info@neonhall.com
【1.公演名】【2.日程】【3.時間】【4.名前】【5.枚数】【6.電話番号】を明記して送信してください。
2. ナノグラフィカ電話 ☎026-232-1532(12時〜18時)
プレイガイド
ネオンホール / ナノグラフィカ / 和光照明 / 雑貨クラクサ / ガレリア表参道
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総合プロデュース:増澤珠美(ナノグラフィカ)
主催・企画・制作:ネオンホール
宣伝美術・演出助手:大沢夏海
「ヤルタ会談」本番まで、一週間を切りました、、!
毎日ネオンホールで稽古をしています。
昨日まで、AとBダブルキャストがそれぞれ別々の時間で稽古をしていましたが、
今日は両チーム合同で、連続して通し稽古をしました。
ある程度稽古が進んでから、お互いに見合う機会は今日が初めてでした。
両チームから、いつもとまた違う緊張感を感じました。
通し稽古のあと、それぞれキャストが感想を言い合ったりする時間がありました。
お互いにいい刺激というか、新鮮な発見があったように感じました。
稽古のあと、みんなで蔵春閣へ行きました。
演出家の仲田さんが、手がけているもう一つのお芝居の通し稽古をみんなで観に行きました。
こちらは、一人芝居で、ドイツで1000人くらいの大きなホールで上演する作品だそうです。
それだけ聞くと凄いスケール感で、実際どんな舞台になるのか、想像が及びません。。
作品は歌舞伎のお話で、二役演じるホタカさんの演技、見た目にも工夫されてる演出、ストーリーにとてもひきこまれました。
そのあと、みんなで鮮味館でごはんを食べながら、稽古のことを振り返ったりしました。
通し稽古に、仲田さんの別の作品にふれられたりと、今日は今までと違う風が吹き込んだように感じました。
明日から、なかやま☆はるかさんがネオンに来て舞台美術の作業をし始める予定。
これからさらにどう作品が仕上がっていくか、とっても楽しみです!
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ネオンホールプロデュース演劇公演vol.3
「ヤルタ会談」
作:平田オリザ
演出:仲田恭子(アートひかり)
このへんてこな会談は《愛》なのかも、しれない。
「ヤルタ会談」は、第2次世界大戦終戦間際、米・英・ソ首脳によって行われた世界史上最大の秘密会談を平田オリザ氏が辛辣なブラックユーモアを盛り込んでパロディ化した作品。もともと落語のために書き下ろしたものを、後に劇場版として戯曲化しています。今回は、ダブルキャストによる、趣の異なる二つの「ヤルタ会談」を2本続けてご覧頂きます。
会談A(そっちチーム) 下垣浩×ムラタヒロミ×鈴木大地
会談B(あっちチーム) 中沢清×増澤たまみ×月原康智
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2015年1月17日[土]-18日[日]
時間
17日[土] 14時〜 会談A→ 会談B 19時〜 会談B→ 会談A
18日[日] 13時〜 会談B→ 会談A 18時〜 会談A→ 会談B
会場
ネオンホール長野市権堂町2344・2階 ☎ 026-237-2719
料金
一般前売り¥2000 学生¥1000 (一般当日券¥2500)
*日時指定・全席自由。
*整理番号はありません。入場は先着順です。
*学生券は当日受付で学生証をご提示ください。
*開場は開演の30分前、精算受付は開演の60分前に開始します。
*共に1ドリンク付き 小学生以下無料(要保護者同伴)
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チケット予約・お問い合わせ
1. ネオンホールメール info@neonhall.com
【1.公演名】【2.日程】【3.時間】【4.名前】【5.枚数】【6.電話番号】を明記して送信してください。
2. ナノグラフィカ電話 ☎026-232-1532(12時〜18時)
プレイガイド
ネオンホール / ナノグラフィカ / 和光照明 / 雑貨クラクサ / ガレリア表参道
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総合プロデュース:増澤珠美(ナノグラフィカ)
主催・企画・制作:ネオンホール
宣伝美術・演出助手:大沢夏海
長野市民日記116 2015年1月10日(土)
今日、トラクターで田をおこした。
田んぼで一人トラクターに乗る。一速なので走りが遅い。少々ねむくなる。あくびをかみころしながらフと思った。
“そうだパリへ行こう”
幼なじみのリョウ子がフランスで絵を勉強しているのだ。リョウ子とは去年の夏に会ったきり。顔が見たいのである。
トラクターを止め田んぼのまん中から彼女に国際電話する。十秒後彼女がでた。
“もしもし〜ムニャ”超ねむそう。時差九時間のせいだ。
彼女がねぼけた声で”どしたの?“ときいてくる。私はiフォンにデカイ声をだす。
“あのさ、リョウちゃんの顔が見たいのでそっちへ行くね。そんで、会ったらシャンゼリゼでイベリコブタを…(以下略)”
彼女は“マジ?”と少しおどろいたが、最後は笑いながら”くれば〜“と言った。
電話を切ると私はシャンソンを歌い始めた。
更新日:2015年01月08日|書いた人:
大沢夏海
ゴッドサウンド+スタジオエンド 公演『鉄輪(郡虎彦「鉄輪」より)』
構成・演出:萩原興洋
出演:齋藤綾乃・加藤絢子・萩原興洋
2/7(土) 18:30開場/19:00開演(終演後トーク&座談会)
2/8(日) 12:30開場/13:00開演
観劇:1,000円、 座談会:1,000円
026-237-2719(ネオンホール) info@neonhall.com
■ ゴッドサウンド+スタジオエンド
通称「ごっさん」。山梨で結成、長野県を中心に活動。手作りのチープな人形と役者で表現す
る楽しいお芝居をしています。かといって、子供向きかというとそうでもなく、ちょっぴり
エログロもあるので、ご来場の際にはそれなりのお覚悟を。
■中川よしのプロフィール
1975年、石川県粟津温泉生まれ。19歳の頃から小説を書き始めました。
今節のテーマは川上弘美さんの『溺レる』を読んで触発され、挑戦します。
エロくもなく、生々しくない、爽やかな読後感の「性」を書きたいです。
あ、明けましておめでとうございますですね。本年もヨロシクお願いします!
正月早々、稽古がはじまりました。
いよいよ演出が本格始動。
『このへんてこな会談は《愛》なのかも、しれない。』
かもしれない…。
ネオンホールプロデュース演劇公演vol.3
「ヤルタ会談」
作:平田オリザ
演出:仲田恭子(アートひかり)
このへんてこな会談は《愛》なのかも、しれない。
「ヤルタ会談」は、第2次世界大戦終戦間際、米・英・ソ首脳によって行われた世界史上最大の秘密会談を平田オリザ氏が辛辣なブラックユーモアを盛り込んでパロディ化した作品。もともと落語のために書き下ろしたものを、後に劇場版として戯曲化しています。今回は、ダブルキャストによる、趣の異なる二つの「ヤルタ会談」を2本続けてご覧頂きます。
会談A(そっちチーム) 下垣浩×ムラタヒロミ×鈴木大地
会談B(あっちチーム) 中沢清×増澤たまみ×月原康智
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2015年1月17日[土]-18日[日]
時間
17日[土] 14時〜 会談A→ 会談B 19時〜 会談B→ 会談A
18日[日] 13時〜 会談B→ 会談A 18時〜 会談A→ 会談B
会場
ネオンホール長野市権堂町2344・2階 ☎ 026-237-2719
料金
一般前売り¥2000 学生¥1000 (一般当日券¥2500)
*日時指定・全席自由。
*整理番号はありません。入場は先着順です。
*学生券は当日受付で学生証をご提示ください。
*開場は開演の30分前、精算受付は開演の60分前に開始します。
*共に1ドリンク付き 小学生以下無料(要保護者同伴)
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チケット予約・お問い合わせ
1. ネオンホールメール info@neonhall.com
【1.公演名】【2.日程】【3.時間】【4.名前】【5.枚数】【6.電話番号】を明記して送信してください。
2. ナノグラフィカ電話 ☎026-232-1532(12時〜18時)
プレイガイド
ネオンホール / ナノグラフィカ / 和光照明 / 雑貨クラクサ / ガレリア表参道
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総合プロデュース:増澤珠美(ナノグラフィカ)
主催・企画・制作:ネオンホール
舞台美術:なかやま☆はるか
宣伝美術・演出助手:大沢夏海
更新日:2015年01月04日|書いた人:
大沢夏海
新年早々、アーケード放送も始まりましたー。
ネオンでは早速ヤルタ会談の稽古をしてます。
2015年、元気に出発しましたー。
2015/01/03 権堂アーケード放送 権堂土曜美術館
Broadcast live streaming video on Ustream
通常営業は19日以降からになりますが、毎日ヤルタ会談の公演に向けてごそごそやってます。
「ヤルタ会談」予約受付中です。お楽しみにー。
ナツミ
更新日:2015年01月01日|書いた人:
大沢夏海
2014年、たくさんありがとうございました。
2015年、どうぞよろしくお願いいたします。
心躍る瞬間に、出会えますように。
ナツミ
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